スエズ・パナマ運河のトラブルで注目! 日欧の意外な近道「北西航路」とは まさに温暖化の“棚ぼた” しかしここにも紛争が

米加の“同盟国同士”による、ややこしい「領海紛争」

 北西航路の最初の横断は比較的最近で、1900年初めに、人類初の南極点到達で有名な探検家アムンゼン(ノルウェー)が達成しました。

 第二次大戦後、アメリカが「北西」に関心を寄せ始め、同国の“飛び地”アラスカの資源開発に必要な物流ルートとして、さらに軍事的にも重要と考えました。特に、激化する東西冷戦を背景に、軍艦が太平洋~大西洋間を素早く移動できる航路として想定したようです。

「北西」の“キモ”は、パリー海峡です。全長約1400km、幅50~100kmの水路で、北極諸島をほぼ一直線に横断しています。

 1950年代に入ると、米沿岸警備隊の船が「北西」で水深調査を行い、さらに1960年代末には、アメリカの大型石油タンカー「マンハッタン」が、アラスカ産原油の輸送試験を名目に同海峡を往復しました。

「パリー海峡は、歴史的に自由航行が容認されている」との既成事実を狙った動きですが、カナダも牽制のため自国の砕氷船を先導させ、自分の“縄張り”であることをアピールします。

「マンハッタン」の試みは、採算が合わず中止となりますが、これを機に同海峡の通行権をめぐる米加のせめぎ合いが激化していきます。

【地図】日欧の近道「北西航路」のルートを地図で見る

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。