「新京成線」はなぜあんなに曲がっているの? 京成になるし、真っすぐにすれば?←これでも「直線化」してきたんです
千葉県内を走る準大手私鉄の新京成電鉄。26.5kmという短さながらも、右に左へとカーブを繰り返す路線として知られています。なぜこのような線形になったのか、それには大きな理由がありました。
もうすぐ「京成」になる「新京成」
「新京成」が「京成」になる日が近づいています。京成電鉄が2023年11月、新京成電鉄を2025年4月1日に吸収合併すると発表すると、歴史ある新京成の名がなくなるとして話題を呼びました。
新京成電鉄は千葉県松戸市の松戸駅と、千葉県習志野市の京成津田沼駅を結ぶ「新京成線」を走らせる準大手鉄道会社です。京成電鉄とは京成津田沼駅で接続しており、2006年から京成千葉線の千葉中央駅まで乗り入れを行っています。
そのため車両は京成電鉄に乗り入れ可能な規格で作られているほか、近年では京成電鉄とほぼ同じ車両を「新京成仕様」として投入しています。このような経緯や社名から想像できる通り、京成電鉄と深い関わりがあり、合併発表前から京成電鉄の完全子会社として経営されてきました。
しかし地図を見てみると、比較的直線的に敷かれている京成電鉄と異なり、新京成電鉄の路線はぐねぐねと曲がっています。路線の距離は26.5kmで、駅数は24駅を数えますが、地図上ではほぼ同じ幅の京成津田沼-京成小岩間が15.2kmしかないので、新京成電鉄がいかに蛇行した路線なのかがわかります。
ではなぜ、新京成電鉄はこんなに急カーブが続くのでしょうか。
軍の演習線から通勤路線に
新京成電鉄会社の設立は第二次世界大戦終戦翌年の1946(昭和21)年で、2024年現在で78年という長い歴史を誇ります。ここでポイントになるのが、この「終戦直後」というワードです。
実は新京成線の前身は、旧日本陸軍の「鉄道連隊」が用いていた演習線でした。鉄道連隊とは、鉄道の敷設から撤去、運転、車両の運用・修理など、その名の通り鉄道に関する任務を遂行する部隊でした。戦争時における物資輸送では、一度に大量に運べる鉄道は有効な手段です。そこで旧日本陸軍はその重要性から1896(明治29)年に鉄道大隊を創設。1907(明治40)年以降は、鉄道連隊を名乗りました。
なお鉄道連隊が敷いた路線は数多く、現在でも残る路線では、小湊鉄道やJR身延線(の前身である富士身延鉄道)の建設に関与したと伝えられています。
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