「ルパン三世の愛車」チェンジは苦肉の策だった!? じつはクリーム色じゃない“激レア回”も

「アニメ界のレジェンド」は大のクルマ好き

 アニメに詳しくなければ、大塚さんの名前はご存じないかもしれませんが、彼は日本におけるアニメーションの創成期から1980年代まで活躍し、1990年代からは専門学校やテレコム・アニメーション、スタジオジブリなどで後進の指導に当たった、いうなれば「アニメ界のレジェンド」です。彼が育てた人物の中には、宮崎 駿さんや友永和秀さん、貞本義行さんなどがおり、その功績は偉大といっても過言ではありません。

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若かりし頃の大塚康生さん。少年時代に蒸気機関車や米軍車両などのスケッチに熱中し、やがて絵で生計を立てることを志す。旧制中学を卒業後、山口県庁職員、厚生省麻薬取締官を経てアニメーターとして東映動画に入社し、多くの作品に参加する傍ら、無名の新人だった高畑勲や宮崎駿の才能を見出し、メインスタッフに抜擢する。アニメの創成期から1980年代まで第一線で活躍し、その後は後進の指導に当たった。2021年没(大塚康生氏提供)。

 同時に大塚さんは無類のカーマニアでもあり、著名なジープ研究家としても知られていました。そんな彼は、宮崎 駿さんの最初の愛車となるシトロエン2CVの中古車を探してきたり、虫プロに移籍した元同僚の中村和子さんから買ったばかりのいすゞ・ベレットを借り出すと事故を起こして大破させてしまい、その代償として手塚治虫さん原作のアニメ『W3』のオープニングを担当することになったり、趣味が高じてアニメーターを一時休職して模型メーカーに転職し、そこで軍用車の模型設計を担当したり、ジープの専門書を執筆したりと、さまざまな逸話が残されています。

 パイロットフィルムの完成から3年後の1971年10月、大塚さんの設定を生かしたTVアニメ『ルパン三世(Part1)』がオンエアされます。このときのルパン三世の愛車は前述のベンツSSKでした。ところが、斬新すぎる内容から視聴率は低迷し、テレビ局やスポンサーは子ども向けへと路線転向を要求します。

 これに失望した大隈さんは降板し、代わりにピンチヒッターとして演出を担当することになったのが、大塚さんの東映動画時代からの友人であり、のちに数多くのジブリ作品を生み出す宮崎 駿さんと故・高畑 勲さんでした。

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