日本の装備品なぜ輸出ふるわない?「まず考えられるのは…」日本メーカーが米企業と組んで学んだ“決定的な違い” 【中編】

海外への輸出拡大を目指す日本の防衛産業にとって、これまでとは異なる形で装備品を作り上げる仕組みの構築は喫緊の課題です。これに関して、米国企業との提携によりそれを乗り越えようとしている三菱電機の取り組みを取材しました。

アメリカの防衛産業から受けた「刺激」

 日本の防衛産業は、自社製品を海外へ輸出することを目指してさまざまな取り組みを行なっています。なかでも、海外企業との提携を強め、各種の実績を積み重ねているのが三菱電機です。同社の企業戦略について、筆者(稲葉義泰:軍事ライター)は同社防衛システム事業部の洗井昌彦事業部長を取材しました。

3回に分けてお伝えするインタビューの第2回は、アメリカの防衛企業から受けた「刺激」についてです。

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ロッキード・マーチン社のF-35組立工場の様子。F-35の開発にもデジタル技術が活用されている(画像:ロッキード・マーチン)。

 前回お伝えした通り、現在三菱電機はアメリカの大手防衛関連企業であるRTX社およびノースロップ・グラマン社と装備品の製造や開発に関して提携を結んでいます。洗井事業部長は、そこでアメリカの防衛産業との企業文化に関する違いを実感したといいます。

「ある装備品を作り上げる際に、まずコンセプトを作り、それを開発し、試験を実施して、それを装備品として完成させるという、社内における一連の流れが非常に洗練されており、目を見張るものがありました。これは大変いい刺激となりましたし、勉強になりました」

 こうした企業文化が形成された背景について、洗井事業部長は「アメリカ企業の方が防衛装備品の開発に関する経験や人的資源が豊富であること」という理由を挙げつつも、「より大きな理由として考えられるのは」と前置きしたうえで、次のように分析しています。

「日本企業の場合、たとえば三菱電機の場合はずっと三菱電機として存続してきました。ところが、現在存在しているアメリカの防衛関連企業のほとんどは、他の企業と合併していろいろな企業文化を吸収しながら今日に至っています。そのため、開発構想から実際のものづくり、そして出荷するまでの過程が非常に洗練されているのです」

 アメリカの防衛産業は、冷戦終結後の1993(平成5)年に誕生したクリントン政権の下で、国防予算の大幅な削減という課題に直面しました。そこで、従来の不採算部門の整理といった企業のスリム化だけではこの危機を乗り越えられないと考え、大規模な企業統合が行われたのです。たとえば、F-35やイージス・システムの開発で知られるロッキード・マーチン社も、元をたどるとこの時期に、ロッキード社とマーチン・マリエッタ社が合併して誕生したものです。

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