京王線&新線はなぜ“複雑な関係”なのか 「新宿‐笹塚」がややこしすぎる!地下に眠る旧駅ができたワケ
京王線の新宿~笹塚間には、京王新線が並行しています。初台と幡ヶ谷の2駅は新線にだけ存在しますが、京王線には初台駅の跡もあるという、なんともややこしい状況です。どういった経緯で、京王線と京王新線が成立したのでしょうか。
少し特殊な京王線と京王新線の関係
埼玉で生まれ育った筆者(枝久保達也:鉄道ライター・都市交通史研究家)は子どもの頃、京王線の路線図を見て首をかしげました。新宿から笹塚という短区間のみ複々線で、しかも本線のみ初台駅、幡ヶ谷駅が存在しない。なぜ、こんな不思議な路線になったのだろうと思ったものです。
東武伊勢崎線や小田急小田原線など、本線の途中から分岐して地下鉄に乗り入れる路線や、東急東横線や目黒線、田園都市線など地下鉄と一体化した路線がある中、京王は京王線と京王新線の両方に自社の新宿駅があるという珍しい形態を取っています。そして同じルートを取りながら、京王線にだけ初台駅、幡ヶ谷駅はないのです。どういった経緯があったのでしょうか。
新線と言えば思い出すのが、営団地下鉄(東京メトロ)にかつて存在した「有楽町新線」です。現在の副都心線小竹向原~池袋間は、1994(平成6)年から2008(平成20)年まで有楽町線の複々線部分として暫定開業していましたが、こちらは新線に千川駅、要町駅がありませんでした。
京王新線と有楽町線新線は一見すると似ていますが、京王は本線にあった駅が新線開業後になくなったのに対し、地下鉄は後から開業した新線にホームが設置されなかっただけ。千川駅、要町駅にはホームの準備工事がされており、副都心線開業とあわせて使用開始しているので、やはり京王線と京王新線の関係は特殊です。
それでは新宿~笹塚間がどのように現在の形になったのか、時代ごと、区間ごとに見ていきましょう。最初に地下化されたのは、甲州街道(国道20号)を併用軌道で走っていた新宿駅付近です。
地下化は2段階に分けて進められました。まず1963(昭和38)年に新宿駅から約600mの併用軌道区間を地下化し、翌年に初台駅の先まで既設線直下にトンネルを建設して地下化しました。この時、地上から地下に移った初台駅には、当然ながら地下ホームが設置されています。この時、幡ヶ谷駅は地上駅のままです。
続いて1978(昭和53)年、新宿~笹塚間約3.6kmに京王新線が開業し、あわせて幡ヶ谷付近から笹塚まで1.5kmが高架化。京王線の初台駅、幡ヶ谷駅は新線に移管され、廃止されました。旧初台駅のホームは現在も残っており資材置き場や避難通路として使われていますが、旧幡ヶ谷駅は解体されました。
最後は1983(昭和58)年に京王線の旧初台~幡ヶ谷間約1.1kmが地下化され、新宿~笹塚間は現在の形になりました。つまり、京王新線の開業以前に地下化した旧初台駅にはホームが残っていますが、旧幡ヶ谷駅は地下化以前に廃止されたため、トンネル内に一切の痕跡はありません。
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