完成時点で余裕なし!? 窮屈すぎる京王新宿駅は「無理やり改造」の結果だった 10両編成を押し込むまでの苦難とは

京王新宿駅は1963年の地下化以降、増え続ける乗客数に対応するように改造を繰り返してきました。狭い階段やホーム、不自然に並ぶ柱といった構造は、京王が輸送力増強に苦労を重ねた痕跡でもあります。

極狭ホームが語る苦難の歴史

 京王の新宿駅には1~3番線まで3つの乗り場と降車ホームがありますが、いずれも京王八王子方は非常に狭く、ルミネ口につながる階段は人がすれ違うのがやっとの幅しかありません。なぜこのような窮屈な構造になってしまったのでしょうか。そこには京王電鉄が軌道から郊外電鉄へ脱皮する上で苦難の歴史がありました。

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構内でS字カーブを描く京王新宿駅の3番線(枝久保達也撮影)。

 京王電鉄の前身である京王電気軌道は、1913(大正2)年に笹塚~調布間で開業しました。社名から分かる通り、京王は鉄道ではなく軌道として開業したため、現在の西新宿から新宿三丁目付近とつつじヶ丘付近には、道路にレールを敷いた併用軌道がありました。

 軌道とはいわゆる路面電車ですが、1905(明治38)年に開業した阪神電気鉄道以降、事実上の「鉄道」であっても路線の一部が道路上にあれば軌道として認められることになったため、先行して開業した京浜電気鉄道(京急)、京成電気軌道(京成)と同様、京王も路面電車ではなく郊外電車として建設された軌道です。

 ただ、一部であっても道路上を走る以上、軌道は小型車両を使わざるを得ません。京王も1950(昭和25)年に本格的な郊外電車タイプの16m車両「2600系」が登場するまで、全長11~13mの路面電車タイプの小型車両が用いられてきました。ちなみに今では同じ京王の井の頭線は5両編成で「短編成」とみられがちですが、これは「鉄道」だったため、当初から17m車両が用いられていました。

 京王線は1945(昭和20)年10月に法律上、軌道から鉄道に切り替わりますが、その後も新宿付近の甲州街道上に併用軌道が残りました。1953(昭和28)年に甲州街道の拡幅にあわせて道路と軌道を分離しますが、大型車両が道路を横切ることには変わりありません。そこで抜本的解決策として浮上したのが、新宿駅付近の地下化です。

 この間、東京の人口増加に伴い京王線の輸送量は急増しました。1950(昭和25)年に約4947万人だった輸送人員は、1955(昭和30)年に約8787万人、1957(昭和32)年には約1億892万人に到達。戦後直後は13m車両2両編成だったのが、1951(昭和26)年に16m車両3両編成を開始し、1957(昭和32)年に同4両編成での運転を開始しました。

 新宿駅と新宿~初台間の地下化は1958(昭和33)年に決定し、工事は1961(昭和36)年に始まりました。東京都が1960(昭和35)年に発表した新宿副都心計画が後押しした格好ですが、1964(昭和39)年の東京オリンピックでマラソンコースになる山手通り(環状6号線)の踏切除去が求められたという事情もあります。

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