ついに新幹線が走行した青函トンネル その契機はタイタニックに匹敵する悲劇

利便性向上が最大の目的ではなかった青函トンネル

 青函トンネルが開業するまで、国鉄(JRや鉄道省などを含む)は青森~函館間に鉄道連絡船を運航していました。いわゆる「青函連絡船」です。

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青森港で「メモリアルシップ」として現在も展示されている青函連絡船「八甲田丸」。駅から続いている線路を使い、船内へ鉄道車両を積載していた(2009年10月、恵 知仁撮影)。

 1954(昭和29)年9月26日、九州へ上陸したのち日本海を北上した台風15号が津軽海峡に接近。気圧は960ヘクトパスカル、風速50m/秒という強い台風のため青函連絡船の運航も中止されていましたが、夕方17時頃、天候や海の状況が次第に落ち着いてきたことから、1167名の旅客を乗せた青函連絡船「洞爺丸」が函館港から青森港へ向けて出港します。

 しかしその後、天候が再び悪化。暴風と激しい波浪に襲われるなか、洞爺丸は意図的に座礁して船体を安定させようとしましたが、横転、沈没してしまいました。これにより1051名の洞爺丸乗船客が亡くなったほか、貨物専用の青函連絡船4隻も沈没。一夜にして乗員乗客合わせて1430名もの犠牲者が出てしまいました。持田豊『青函トンネルから英仏海峡トンネルへ』(中公新書)によると、近くの陸地は犠牲者を火葬する煙で何日ものあいだ覆われたといいます。

 本州と北海道を海底トンネルで結ぼうという構想自体は戦前から存在していましたが、この「洞爺丸事故」をきっかけに国鉄も世論も、その実現に向けて大きく動き出します。

 先出の『青函トンネルから英仏海峡トンネルへ』のなかで、日本鉄道建設公団の青函建設局長などを務めた著者の持田豊氏は次のように述べています。

「青函トンネルは、北海道、東北の経済発展や社会文化のきずなを深めるという目的などよりも、安全な交通手段を確保し、大事故が今後起こらない輸送サービスをしなければならないという、人命尊重の第一義から出発したことを明記したい」

 青函トンネルと、開業から50年間にわたり一度も車内の乗客が死亡する事故を起こしていない新幹線。「安全性」というキーワードで繋がっていました。

※「洞爺丸事故」に関するデータは持田豊『青函トンネルから英仏海峡トンネルへ』(中公新書)による。

【了】

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Writer: 恵 知仁(鉄道ライター)

鉄道ライター、イラストレーター。「鉄道」や「旅」に関する執筆活動や絵本の制作を行っているほか、鉄道車両のデザインにも携わる。子供の頃からの旅鉄&撮り鉄で、日本国内の鉄道はJR・私鉄の全線に乗車済み。完乗駅はJRが稚内で、私鉄が間藤。メインは「鉄道」だが、基本的に「乗りもの」好き。

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コメント

2件のコメント

  1. 洞爺丸海難事故(1949年台風15号)海難事故は、書籍がほかにも出ています。絶版本では青函連絡船物語(坂本幸四郎)や、鉄道連絡船でも触れられています。また、七重浜の洞爺丸横転地点の海岸では慰霊碑もあります。
    尚、世間でいう洞爺丸沈没は、正式には遠浅の海岸で横転しており、沈没は貨物船第11青函丸、貨物船日高丸、貨物船十勝丸で、当時の函館港内で難を逃れたのは、大雪丸、貨物船石狩丸でした。
    今回さらっと触れられていますが、青函トンネルの建設経緯のこの台風15号海難事故(犠牲者1159名、世界第2位の海難事故)は、海難審判でも気象庁の責任逃れの姿勢が目立っていた今につながる無責任体制の始まりと言われていますので、きちんと特集してほしいです。

  2. 昔 観た、高倉健さんの「海峡」。良い映画だったんだけど、マイナー過ぎたのかな?。知らない方々が多いと思う。