10号晴海線「脱盲腸」プラン 一般道の計画を首都高に
一般道が首都高に
「月島方面から中央区役所に向かう道路の支線として、現在の明石1丁目付近から築地の市場の方までつなげる道路を計画しておりました。そのために1971(昭和46)年に築地川を埋め立てています。これは新大橋通りのバイパス線のような道路で、地下を通す予定でした。川の埋め立てまでは東京都が行い、駐車場、公園などの管理は中央区が行っています。しかし交通の状況が変わったこともあり、計画は1993年に廃止。同年、このカルバートを利用して首都高晴海線を延伸する計画に切り変わりました。現在、晴海3丁目までは延伸の事業として動いております。その計画上では黎明橋手前から地下を通し、新富町のカルバートに繋げる予定です。ただ、事業的にはまだ動いていません」(中央区環境政策課)
驚いたことに、このトンネル構造はもともと一般道として計画され、一部建設した部分を、首都高に転用する構想なのです。
1993年に決定された晴海線の都心環状線までの延伸計画は、都市計画としてはいまも生きていますが、事業化されないまま22年間放置されています。
また、ここから「都心新宿線」、さらには「多摩新宿線」と続いて圏央道まで延伸する構想もありましたが、実現の見通しはありません。
現状、C2中央環状線の全線開通で首都高の渋滞は大幅に減少しています。もはや晴海線を都心環状線に接続する意義すら、それほど大きくありません。ましてや都心新宿線や多摩新宿線の計画は、すでに夢物語になったと言っていいでしょう。
ただ、旧築地川沿いには、出入口のようなスロープを始め、計画の跡が今も随所に残っています。これら都会の“トマソン物件”、兵どもが夢の跡を探訪するのも悪くありません。
【了】
Writer: 清水草一(首都高研究家)
1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』などの著作で、首都高研究家/交通ジャーナリストとして活動中。
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