「トイレも無ェ!エアコン無ェ!外は灼熱極寒だ!!」過酷な大戦中の戦車乗り…どう乗り切った?
戦車乗りは陸軍の花形と言われていますが、その生活は現在でもかなり過酷です。しかし、第二次世界大戦中はもっと大変でした。
見た目はいいが車内は過酷な職場…
戦車兵といえば、現在では陸軍でも花形の役職といわれています。しかし、実際の戦いとなるとその様相は一変します。特に約80年前の第二次世界大戦時はかなり過酷であったという証言などが残っています。戦車兵はどんな点に苦労していたのでし ょうか。

まず、戦闘まで待機している時間そのものが過酷です。
戦車といえども常に戦闘している訳ではありません。戦闘はその準備から出撃、作戦の終了までは短くて数日、長ければ数週間、数か月に及ぶものもあります。そんな期間を戦車とともに過ごす戦車乗員の生活は「過酷で苛烈」以外のナニモノでもありません。
1944年のノルマンディー上陸作戦の後、ノルマンディー近くの町の防衛を任されたドイツ陸軍将校は、その戦いをこう述べています。
「求められたのは、低い木々に紛れ込み、何日も動かずじっと戦線を保つことだった。敵の攻撃は断続的に行われ、ハッチを開けることも戦車を離れることもできなかった。座ったまま動くことができないため、足はむくみ、障がいが出る者もいたが、どうしようもなかった」
戦車の車内は非常に狭く、当時の基準では大きい方だったドイツのパンター中戦車でも、一番広いところで高さは160cmほどしかありません。もちろん冷暖房はないので、夏は灼熱の暑さ、冬はキンキンに冷えた車内にいなければいけません。
ドイツ人の平均身長を考えれば、ほとんどの隊員がずっと座った、もしくは腰をかがめた状態にしかなれないのですから、血行も悪くなろうというものです。
ドイツの場合、こうした狭く過酷な「箱」の中に4~5人が押し込まれていました。そしてそれよりもっと狭かったのが、ソ連戦車や日本の戦車といわれています。
一方で、アメリカのM4「シャーマン」戦車に関しては、戦後に提供を受けた陸上自衛隊の隊員が「広くて居住性が良かった」と話しているケースもあります。また、最近では、ウクライナ軍の戦車兵がイギリスから供与された「チャレンジャー2」が「広くて使いやすい」と話していたことも報じられています。
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