新幹線より快適な「グリーン席」が海の上に!? 希少な「鉄道連絡船」大きい方に乗ってみた

和歌山港~徳島港間を結ぶ「南海フェリー」。南海電鉄の子会社であり、鉄道会社のグループ企業という珍しい海運会社です。和歌山港では、南海線の駅と接続している鉄道連絡船ですが、どのような利用をされているのでしょうか。

本州と四国を結ぶ連絡ルートを構成

 鉄道会社やその関連会社が、鉄道との連絡を前提に運行する船を「鉄道連絡船」と呼びます。日本では1882(明治15)年、滋賀県の長浜駅と大津駅を結んだ琵琶湖航路が最初です。当時は東海道本線が全通しておらず、両駅間を船で連絡したわけです。

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2019年に就役した南海フェリーの「フェリーあい」(安藤昌季撮影)

 かつて鉄道連絡船は各地で運航されていました。代表的なのは、本州の青森と北海道の函館を結んだ青函連絡船、本州の宇野と四国の高松を結んだ宇高連絡船です。これらは青函トンネルや瀬戸大橋の開通ですでに廃止され、2025年現在において鉄道会社の関連会社により運航される鉄道連絡船は、JR西日本宮島フェリーと南海フェリーのみとなっています。

 南海フェリーは南海電気鉄道の子会社です。南海電鉄が海運業に進出したのは1947(昭和22)年のこと。和歌山県の加太と淡路島の洲本を結んでいた紀淡連絡汽船を子会社としたのが始まりです。

 1956(昭和31)年に南海汽船へと社名を変更し、和歌山~小松島航路を開設しました。本州の和歌山港には南海和歌山港線が、四国の小松島港には国鉄小松島線が接続しており、本州と四国を結ぶ連絡ルートとなったわけです。

 南海汽船はこの時期、非常に意欲的であり、日本初の水中翼船「つばさ丸」により、大阪~白浜間を神戸・和歌山を経由して3時間40分で結んでいました。

 その後1975(昭和50)年、運行会社が現在の南海フェリーとなり、1983(昭和58)年より高速船航路も開設されて、フェリーとの2本立てとなります。高速船は1985(昭和60)年、国鉄小松島線の廃止に伴い四国側が徳島港となりますが、フェリーは小松島港発着のままでした(1999〈平成11〉年より徳島港発着)。

これが私鉄・南海の「グリーン席」です(写真)

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