京急の駅に「美空ひばりの歌碑」どんな関係? 歌の背景に「大開発計画」の紆余曲折 その痕跡を追う
美空ひばりの名曲「港町十三番地」は、現在の京急や川崎市が計画した運河計画とつながりがあります。現地に残る大規模な運河計画の痕跡をたどります。
多摩川沿いの「港町」に構築された川崎河港水門
川崎河港水門はまさに運河のゲートで、しかも日本初の河港水門でもあり、大水に耐えられるように強固に造られました。
装飾も見事で、水門の塔の上には地元の名産品だった、梨、ブドウ、桃をモチーフにした、オリエント風彫刻が施されています。1998(平成10)年には、国登録の有形文化財遺産に指定されています。
ただし法律上の不備で、運河計画では、予定ルートに建築規制がかけられず、ルート上には、都市化で住宅や工場が続々と建ち、土地収用は困難でした。
それ以前に、1929(昭和4)年の世界恐慌による大不況と、続く1941(昭和16)年の太平洋戦争突入で、運河建設どころではなくなり、計画は雲散霧消となります。
結局「川崎市主導プラン」は、川崎河港水門と、内陸に200mほど掘り進んだ運河だけに留まりました。
戦後、運河は船溜まりとして使われ、隣接する味の素など周辺の工場が舟運に使いますが、これらも徐々に減っていき、2000年代以降は、千葉からの砂利運搬船が1日数回訪れる程度だったようです。
しかし2020年代には、船舶の利用が途絶え、船溜まりの大半は埋め立てられました。
ちなみに、水門の一帯は「港町(みなとちょう)」と呼ばれ、水門完成2年後の1937(昭和12)年に改名しています。昔から渡し船や小さな漁港があり「みなと」と呼ばれていたことと、川崎河港の発展を祈願しての命名のようです。
冒頭で紹介した港町駅のすぐ横には、かつて日本で初めてレコードを生産した、日米蓄音機製造(現・日本コロムビア)の本社工場があり、駅も「コロムビア前」を名乗った時期がありました。本社跡は現在、再開発され高層マンションになっています。「港町十三番地」は、美空ひばりが所属するコロムビア本社のある「港町」に敬意を表して歌い上げた、というわけです。
現在港町駅には、このエピソードの記念碑が飾られています。
Writer: 深川孝行
1962年、東京生まれ。法政大学文学部地理学科卒業後、ビジネス雑誌などの各編集長を経てフリージャーナリストに。物流、電機・通信、防衛、旅行、ホテル、テーマパーク業界を得意とする。著書(共著含む)多数。日本大学で非常勤講師(国際法)の経験もある。
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