数々の「鉄道の当たり前」を発案 JR東海初代社長・須田寬さんが遺したもの 伝説のアイデアマンぶりを振り返る

2024年12月13日に亡くなったJR東海参与・故須田 寬さんの「お別れの会」が、2025年3月31日に名古屋で執り行われました。鉄道を愛し、鉄道文化に大きな影響を与えた須田さんの足跡を振り返ります。

「お別れの会」に589人が参列

 2025年3月31日、名古屋駅のJRセントラルタワーズにある名古屋マリオットアソシアホテルで、2024年12月13日に亡くなったJR東海参与・故須田 寬さんの「お別れの会」が執り行われ、関係者や市民など859人が参列しました。

 須田さんは、1987(昭和62)年4月1日に発足したJR東海の初代社長を務めました。国鉄時代には名古屋鉄道管理局長や国鉄本社旅客局長を歴任。鉄道文化や観光産業に対する造詣も深く、国鉄・JR関係者のみならず多くのレールファンからも親しまれた人物です。日本の鉄道文化に大きな足跡を残した須田さんの歩みを振り返ってみましょう。

高山本線の近代化に取り組み、鉄道趣味誌にも寄稿

 須田寬さんは、1931(昭和6)年、洋画家・須田国太郎氏の長男として京都市に生まれました。少年時代は身体が弱く、時刻表を見て全国の鉄道を空想して過ごしたそうです。学生時代、終戦時の混乱のさなか時間通りにやって来た列車に感動し、京都大学から国鉄へ進むことになります。

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講演する須田寬さん(2008年6月14日に摩周丸で開催されたシンポジウム「青函連絡船と北海道の産業観光」で、栗原景撮影)

 静岡や高松での勤務、あるいは国鉄本社で東海道新幹線の建設資金調達などに関わった後、1966(昭和41)年5月に名古屋鉄道管理局総務部長に着任。ここで、高山本線の近代化に取り組みます。

 当時の高山本線は、明治以来のSL列車が行き交う旧態依然とした路線でした。須田さんはこの高山本線を近代化するプロジェクトチームの一員に加わり、完全ディーゼル化やCTC(集中制御:各駅の信号やポイントを中央制御所で管理する方式)の全線導入などに携わりました。

 この高山本線総合輸送改善計画の解説記事を、鉄道趣味誌の月刊『鉄道ジャーナル』1967(昭和42)年3月号に執筆します。

 須田さんは1961(昭和36)年から1966年まで国鉄社内誌『国有鉄道』『国鉄線』の編集企画委員を兼任していました。同誌を発行していた財団法人交通協力会には、後に『鉄道ジャーナル』を創刊する竹島紀元氏が在籍しており、これが縁となって創刊まもないジャーナル誌へ執筆することになったのです。

 現役の、それも鉄道管理局総務課長という要職にある国鉄マンの寄稿は、読者から好評を得ます。以来、須田さんは同誌に何度も寄稿し、レールファンにも知られる存在となっていきました。

【写真】須田寬さん「お別れの会」の様子を見る

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