数々の「鉄道の当たり前」を発案 JR東海初代社長・須田寬さんが遺したもの 伝説のアイデアマンぶりを振り返る
2024年12月13日に亡くなったJR東海参与・故須田 寬さんの「お別れの会」が、2025年3月31日に名古屋で執り行われました。鉄道を愛し、鉄道文化に大きな影響を与えた須田さんの足跡を振り返ります。
「頭にくる」でひらめいた新サービス
●赤羽駅でひらめいた「ホームライナー」
1981(昭和56)年に国鉄旅客局長として東京に戻った須田さんは、国電で通勤をしていました。ある日の夕方、混雑する赤羽駅(東京都北区)のホームで電車を待っていると、上野駅から東大宮操車場(現・大宮総合車両センター東大宮センター、さいたま市北区)へ回送される特急型電車を何本も見かけました。回送列車ですから車内は無人で、満員電車を待つ乗客から「頭にくる」と怒りの声が聞こえたそうです。
その体験から生まれたサービスが、回送列車の一部を通勤客向けの有料着席列車とする「ホームライナー」です。300円の乗車整理券を購入すれば特急の簡易リクライニングシートに座って帰宅できるとあって、1984(昭和59)年6月のスタートからたちまち大人気となります。
上野~大宮間の「ホームライナー大宮」(命名は7月から)に始まり、総武快速線、阪和線、東海道本線と広がり、やがて回送列車の活用ではなく専用のダイヤが組まれるようになりました。
現在では、多くのホームライナーが「湘南」「あかぎ」などの特急に生まれ変わりましたが、須田さんのお膝元であるJR東海では、今も「ホームライナー大垣」「ホームライナー沼津」「ホームライナー瑞浪」といった、乗車整理券(330円)で乗車できるライナー列車が運行されています。
取締役退任後は鉄道友の会の会長を15年務める
数々の施策を打ち出した須田さんは、国鉄常務理事を経て、1987(昭和62)年4月、JR東海の初代社長に就任します。
JR東海でも、故星野仙一監督と落合博満選手の加入による中日ドラゴンズの人気ぶりを見て、貨物線を活用して名古屋~ナゴヤ球場正門前間にナイター列車を運行するなど、様々なアイデアを実現しました。
2004(平成16)年にJR東海代表取締役会長を退任すると、2007(平成19)年に鉄道友の会会長に就任。15年にわたり、鉄道関連の文化財を保存し次世代に引き継いでいく活動を行います。また、日本観光協会中部支部の支部長なども務め、地域と鉄道を活性化させる観光業の振興にも尽力しました。
こうして、戦後の鉄道と観光業に数多くの足跡を残した須田寬さんは、2024年12月13日、老衰のため93歳で亡くなりました。須田さんが愛した日本の鉄道文化は、これからも多くの人々によって受け継がれていくことでしょう。改めて、心からご冥福をお祈りします。
Writer: 栗原 景(フォトライター)
1971年、東京生まれ。旅と鉄道、韓国を主なテーマとするフォトライター。小学生の頃から各地の鉄道を一人で乗り歩き、国鉄時代を直接知る最後の世代。出版社勤務を経て2001年からフリー。多くの雑誌や書籍、ウェブに記事と写真を寄稿している。主な著書に『東海道新幹線の車窓は、こんなに面白い!』(東洋経済新報社)、『テツ語辞典』(誠文堂新光社/共著)など。
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