数々の「鉄道の当たり前」を発案 JR東海初代社長・須田寬さんが遺したもの 伝説のアイデアマンぶりを振り返る

2024年12月13日に亡くなったJR東海参与・故須田 寬さんの「お別れの会」が、2025年3月31日に名古屋で執り行われました。鉄道を愛し、鉄道文化に大きな影響を与えた須田さんの足跡を振り返ります。

日常の足からブルトレまで、次々と提案

●二段寝台と「★」マーク

 新幹線の開業や旅客機の普及によって、寝台列車の利用者数は減少すると予測されましたが、全体ではまだまだ大きな需要があると考えられました。そこで旅客局が提案したのが、B寝台の二段化です。

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二段寝台を備えた客車は「★★★」マークが記された(画像:写真AC)

 それまでの三段寝台を二段にすることで、頭がつかえない広々とした寝台で居住性を向上し、同時に寝台のセット・解体作業を省略して合理化しようとしたのです。「星の寝台特急」のキャッチフレーズのもと、B寝台の仕様を「★」の数で表すようになったのも二段式B寝台の導入から。時刻表に流れ星の寝台特急マークが登場し、B寝台は客車三段式「★」、電車寝台「★★」、客車二段式「★★★」のマークで表現するようになりました。

 1974(昭和49)年4月から寝台特急「あかつき」「彗星」に導入された二段式寝台は、乗客から「A寝台並み」と大好評で、やがて訪れるブルートレインブームを牽引することになります。

●現代にもつながる「シティ電車」

 1979年、名古屋鉄道管理局長として10年ぶりに名古屋に着任した須田さんは、名古屋地区の「国電化」に取り組みます。当時、名古屋周辺の普通列車は多くが電車化されていましたが、6~8両編成の列車が1時間に1本程度運転している状況で、日常的な通勤・通学は私鉄が利用されがちでした。

 そこで、中間車に運転台を取り付けるなどの改造を施し、2~3両の短い編成で列車本数を増発。いつでも待たずに利用できる都市型電車への転換を図ることを軸とした提案「PLAN’80国鉄名古屋」を策定し、1980(昭和55)年に公表します。

 PLAN’80は各地で受け入れられ、1982(昭和57)年11月ダイヤ改正で登場した広島地区の「ひろしまシティ電車」を皮切りに、札幌、静岡、福岡など各地に導入されました。

 名古屋地区は、貨物列車の削減によりダイヤに余裕の生まれた1984(昭和59)年2月から都市型電車ダイヤを本格的に導入。各地の国鉄工場はJR発足後までフル回転で先頭車化改造を実施し、今日の地方都市におけるJR通勤輸送の礎を作りました。

【写真】須田寬さん「お別れの会」の様子を見る

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