まとまらぬ欧州、よみがえる戦闘機「ユーロファイター」の悪夢 英EU離脱、安全保障の影響は
繰り返される衝突と和解、そしてソ連の崩壊
1979(昭和54)年、イギリスと西ドイツ、フランスは、同時に次世代戦闘機を欲していたこともあり、3か国共同による「ヨーロピアン・コンバット・エアクラフト(ECA)」を開発する計画をスタートさせます。ところがこの計画に対する各国の思惑には、「1990年頃に実用化を目指す万能機」という目標以外に共通点がほとんどなく、結局、1981(昭和56)年に空中分解してしまいます。
そして1983(昭和58)年、計画を見直し今度はイタリアとスペインを加えた5か国の「ヨーロピアン・ファイター・エアクラフト(EFA)」がスタート。しかし「コンバット」から「ファイター」へ名称が変わっても、実態はなにも変わっていませんでした。フランスは、同国の名門航空機メーカーであるダッソー社とスネクマ社の保護や、また要求性能が最もかけ離れていたこともあり計画からの脱退を決断、独自開発の道を歩むことに。これはのちに、ダッソー社の戦闘攻撃機「ラファール」として実現します。
同じころイギリス、西ドイツ、イタリアによる「アジャイル・コンバット・エアクラフト(ACA)」という別の戦闘機開発計画も盛大に“炎上中”でした。そうしたなか、イギリスは開発費を負担しようとしない西ドイツ、イタリアに業を煮やし、「ACA」の技術デモンストレーターとして「研究航空機計画(EAP)」を自国で単独開発。この「EAP」は1986(昭和61)年に初飛行したのち、1991(平成3)年までに259回の試験飛行を成功裏に実施しました。
このイギリスによる「EAP」が「EFA」計画の“救世主”となります。机上のプランでしかなかった欧州共同の「EFA」計画は、その「EAP」を原型とすることに決定。ようやく実機の開発がスタート……するかに見えたのですが、1991(平成3)年にソ連が崩壊してしまったのです。
また1989(平成元)年に念願の東西統合を果たしたドイツは、東ドイツ救済に多大な予算を必要としたため「EFA」計画の中止に踏み切っており、イタリアやスペインもドイツの動きに続きます。そのため性能を切りつめコストの低減を計ったダウングレード機「ニュー・EFA」なる開発計画が立案されるも、もはや1990(平成2)年の就役という当初の予定は、とっくに過ぎ去っていました。
EU(ドイツ・イタリア・スペイン)と離脱後のイギリスの間の輸出入に関税が掛かるとなった場合、機体生産コストに響かないのかな? 各国でユニット毎の生産してますよね? 将来の性能向上計画以前の問題かと。