鉄道車両の連結器を「ぜんぶ取り換えろ」なんと7万両!? 100年前の一大プロジェクトはなぜ行われたのか?

今から100年前、鉄道の連結器の一斉交換が行われました。これにより、連結作業に携わる連結手の死傷事故が激減するなど、安全性が向上しました。今につながる鉄道従事者の安全の基礎を築いた一大プロジェクトを追います。

約7万両の連結器を2日で取り替える大プロジェクト

 自動連結器への一斉交換は1918(大正7)年に立案され、翌年に取り替えの方針が決定。その後、下準備を経て実際の交換が行われるまでに7年を要する大プロジェクトとなりました。

 当時の試算で連結器の取り替え対象となる車両は、機関車が約3200両、旅客輸送で使用される客車が約8800両、貨物輸送で使用される貨車が約5万8000両で、合計では約7万1000両とされていました。

 これらの車両の連結器を一斉に交換することになり、本州内と四国の一部(讃岐線)の車両は1925(大正14)年7月17日に、九州内の車両は7月20日に作業が行われました。ただし、当時は他の路線と分離された「離れ小島」の路線もあり、これらの路線を走る車両は後回しにされています。

 また、作業日は基本的に貨物列車の運行を24時間休止したものの、急送品を運ぶ貨物列車は例外的に運行されました。そのため、当日に一斉交換の対象となった貨車の数は約4万1000両でした。

 ちなみに、機関車や客車は交換時期が若干ずれた車両もあり、一部の客車は事前に交換を済ませていました。

【写真】かつては危険を伴った鉄道車両の連結作業

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