ナチス・ドイツに実在した「空軍なのに戦車を使う部隊」なぜ? 独裁政権ナンバー2が “私兵”導入の経緯とは
ナチス・ドイツ時代、実質的にアドルフ・ヒトラー私兵だったSS(親衛隊)は有名です。ただナチスでは珍しいことに、有力幹部だった人物も私設軍隊と言えるものを持っていました。
美術品を救出したこともあったが上司のせいで疑われる
当時、「ヘルマン・ゲーリング装甲師団」に所属していたユリウス・シュレーゲル中佐は、モンテ・カッシーノ市郊外にある標高519メートルの岩山に陣取るドイツ軍が、連合軍から激しい攻撃を受けることを予見していました。そして、山頂に位置し見晴らしの良いモンテ・カッシーノ修道院が無傷で済むはずはないと確信していたのです。

そこでシュレーゲル中佐は、修道院の主要な美術品を救出すべきだという自身の考えを周囲に認めさせ、修道院側と綿密な外交交渉を重ねた末、大規模な救出作戦を実施しました。彼の予想通り、戦闘が始まると、山頂でひときわ目立つ修道院は連合軍の爆撃と集中砲火を受け、灰燼に帰しました。しかし、修道院に所蔵されていた貴重な美術品は、事前にバチカンへと運び出されていたため、破壊を免れたのです。
ところが、シュレーゲルの雇い主であるヘルマン・ゲーリング自身が、各国の美術品を略奪していたという過去が災いし、連合軍のラジオ放送では「ヘルマン・ゲーリング師団の兵士が修道院を略奪した」と非難されることとなりました。
さらに、シュレーゲル中佐はこの救出作戦を上層部に報告しておらず、独断での行動だったため、私的な略奪行為と見なされ、SSによって拘束されそうになります。しかし、修道僧たちの証言により略奪目的ではなかったことが証明され、最終的に師団長であるパウル・コンラート少将の承認を受けたことで、処分を免れることとなりました。
もっとも、こうした英雄的な逸話だけではなく、同師団がイタリア戦線やポーランドのワルシャワ蜂起において、SSほどではないにせよ非人道的な行動を取っていたという事実も存在します。そのため、ニュルンベルク裁判では、同師団の幹部が戦争犯罪への関与を問われ、起訴予定のリストに名を連ねていました。
最終的に、この裁判においては、虐殺や暴力行為に関して同師団の関係者が訴追されることはありませんでした。しかしながら、同師団に対する疑惑や検証の動きは、東西冷戦の終結およびドイツ再統一後も続き、2010年代に至るまで調査が行われることになります。
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。
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