ミッドウェー海戦で孤軍奮闘した空母…実は残した戦果はかなり大きかった?なぜ最後まで“残れた”のか
ミッドウェー海戦といえば、さまざまな作戦が裏目に出て日本海軍が惨敗し、空母を4隻も失ってしまった戦いとして記憶する人も多いと思います。しかし4隻のうち1隻が孤軍奮闘し戦果もあげています。
「運命の5分間」を回避してしのぐ
しかし、この頃日本海軍の暗号は、アメリカ軍によって解読されており、日本軍の行動はすべて察知されている状態であったことから、戦闘開始前から迎撃態勢と整えられかなり不利な状態となっていました。

さらに、日本空母機動部隊には、敵艦艇の撃滅のほかにもミッドウェー島の空爆という役目も科せられていました。これが最悪の状態に向かう大きな原因を作ります。攻撃準備中にアメリカ軍の爆撃を受けて「赤城」「加賀」「蒼龍」が瞬く間に炎上したからです。
艦隊護衛の零戦隊は急降下爆撃機が攻撃を仕掛けたとき、殆どは雷撃機の迎撃のため低空に降りており、上空が全くの無防備になっていました。僅かな隙を突かれた攻撃により空母「赤城」は2発、「加賀」は4発、「蒼龍」は3発の爆撃の直撃を受けます。ただ、通常であれば、急降下爆撃による爆弾の直撃を受けてもすぐに航行不能や沈没するほどダメージを受けない可能性もありました。
しかし、このときはミッドウェー島攻撃の爆撃から急遽、敵空母攻撃に切り替えるため、空母甲板には艦上攻撃機用の爆弾や魚雷が所せましと並べられていたのです。そのため爆撃によって次々にそれらに引火し、火災を引き起こし3隻は短時間のうちに航行不能になり、後に沈没や自沈処分されることになります。
「運命の5分間」「魔の5分間」とも呼ばれるこの瞬間に戦いは決着したかに思われました。しかし、まだ日本海軍には空母が残っていました。それが「飛龍」でした。同艦は、ほかの空母3隻からは少し離れたところにいたため、爆撃を免れ、生き残っていたのです。
「飛龍」が、なぜほかの空母から離れていたかについてはわかっていません。しかし、この前日はひどい濃霧で「飛龍」と戦艦「霧島」が航行中に衝突しかけるという事態も起こっています。ミッドウェーの海域でもたびたびスコールに見舞われるような天候であったといいますから、そのために距離を取っていたとも考えられます。
「赤城」「加賀」「蒼龍」がアメリカ軍の爆撃を受けた時、少し離れた場所にいた「飛龍」はいち早く動き出し、少し北にあったスコールの雲の下へと逃げ込みました。そこは、小さな空間ではありましたが、雲と激しい雨が「飛龍」を敵から隠してくれるちょうどいい場所となりました。そして、南の方向に3隻の空母が炎上するのを確認し、「飛龍」はその敵を討つため、風上となる東へと進路を取り反撃の機会をうかがいます。
たのしく拝読させて頂きました。
失礼ながら、飛龍の艦長は加来止男大佐で、山口多聞少将は第ニ航空戦隊司令官です。
ご指摘ありがとうございます。
記事を修正いたしました。