ミッドウェー海戦で孤軍奮闘した空母…実は残した戦果はかなり大きかった?なぜ最後まで“残れた”のか
ミッドウェー海戦といえば、さまざまな作戦が裏目に出て日本海軍が惨敗し、空母を4隻も失ってしまった戦いとして記憶する人も多いと思います。しかし4隻のうち1隻が孤軍奮闘し戦果もあげています。
かなり重要だった「飛龍」の反撃
ミッドウェー海戦といえば、さまざまな作戦が裏目に出て日本海軍が惨敗し、空母を4隻も失ってしまった戦いとして記憶する人も多いと思います。ただ最近に資料では、この海戦後、一気に日本が主戦力を失った訳ではなく、実はこの時点でも、空母を含めた太平洋方面に展開する海上戦力ではギリギリ、まだ日本軍のほうが優勢だったと考えられています。

というのも、この戦いでアメリカ海軍も完全勝利という訳ではなく、雷撃隊を中心に多くのパイロットを失っており、空母も1隻沈められたためです。そのきっかけを作ったのが空母「飛龍」の孤軍奮闘でした。
1942年6月に起こったミッドウェー海戦は、日本海軍連合艦隊とアメリカ海軍空母群機動部隊が激突し、その後の戦略に大きな影響を与えた戦いです。結果としてここで日本海軍は、主力の空母4隻と重巡洋艦「三隈」が沈没。それまでの破竹の勢いを失います。
戦いの舞台となったミッドウェーはハワイ諸島の北西にある小さな島の周辺海域です。実は同島においては占領そのものではない、別の目的もありました。それは真珠湾攻撃の際に仕留めきれなかったアメリカ海軍の主力艦艇を、このミッドウェー島近海におびき出し、まとめて沈めてしまおうというものです。
たのしく拝読させて頂きました。
失礼ながら、飛龍の艦長は加来止男大佐で、山口多聞少将は第ニ航空戦隊司令官です。
ご指摘ありがとうございます。
記事を修正いたしました。