「リオ五輪」開会式の飛行機、その正体は? ライト兄弟の代わりに教科書へ載ったかもしれないブラジル人
自分のせいで殺し合う兄弟 みずから命を絶ったデュモン
デュモンは「史上初の飛行機発明者」という称号こそ逃しましたが、まぎれもなく「飛行機」を“発明”したひとりです。彼は純粋に「空を自由に飛びたい」という夢のため「飛行機」を発明しました。しかしその後、デュモンと「飛行機」を待ち受けた“現実”は、過酷なものでした。
1914(大正3)年に第一次世界大戦が勃発すると、爆弾を搭載して都市を破壊する「爆撃機」や、飛行機そのものを撃ち落とすために機関銃を搭載した「戦闘機」が登場。「夢の乗りもの」だったはずの飛行機は、「戦争の道具」として使われるようになります。平和を愛するデュモンにとって、自分の発明が若者の命を奪ってゆく現実はとても耐えられないものでした。
第一次世界大戦の終結後、デュモンは祖国ブラジルや国際連盟に対して飛行機の軍事利用禁止を訴えるも、すでに飛行機は軍隊にとって必要不可欠な存在になっており、デュモンの願いがかなうことはありませんでした。そして1932(昭和7)年、失望と持病の悪化からデュモンは自殺をはかり、59年の生涯を閉じます。
「私の発明が兄弟同士で殺し合う結果を生もうとは、思いもよらぬことでした」
デュモンはそう、言い残しています。
自身の初飛行から110年の時を経た平和の祭典、「リオデジャネイロオリンピック」の開会式で、再び世界の注目を集めたデュモン。その心境は、嬉しくもあり、少し悲しくもあるかもしれません。
【了】
Writer: 関 賢太郎(航空軍事評論家)
1981年生まれ。航空軍事記者、写真家。航空専門誌などにて活躍中であると同時に世界の航空事情を取材し、自身のウェブサイト「MASDF」(http://www.masdf.com/)でその成果を発表している。著書に『JASDF F-2』など10冊以上。
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