なぜ売り続けた!?「事故ると燃える欠陥車」大企業が陥った恐ろしい「モラルハザード」の悪例とは

自動車メーカーによる不正が発覚し、社会問題となることがあります。しかし、その悪質性から今日でも企業倫理の問題について語られるときに、その悪例として挙げられるのが1970年代の「フォード・ピント事件」です。

燃料漏れで激しく炎上する欠陥車、なぜ生まれた?

 こうして1971年9月にデビューした「ピント」は、4気筒エンジンを積んだオーソドックスな設計の小型車でしたが、洒落たスタイリング、優れた操作性、輸入車に負けない経済性、豊富なボディバリエーション、そしてなによりも2000ドル(現在の価値で邦貨換算すると180万円)以下という低価格が受けて、発売初年度に35万台を売り上げる大ヒットを飛ばします。加えて、発売直後に発生した石油危機が追い風となり、1974年には50万台を超えるベストセラーになりました。

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1950~1970年代にかけてアメリカ市場で人気を博した「ビートル」ことフォルクスワーゲン「タイプI」。特に東海岸のエリート層と西海岸の若者から支持を集めた(画像:フォルクスワーゲン)。

 しかし、開発を急いだことによる弊害で、このクルマにはユーザーが想定しない恐ろしい欠陥が潜んでいたのです。

「ピント」の欠陥とは、燃料タンクの配置が不適切なことで、後方から衝突されると燃料漏れを起こし、火災となる恐れがあった点です。実はアイアコッカらフォード経営陣は、発表前の時点でエンジニアから欠陥の報告を受けていたのですが、改修コストが1億4000万ドルと見積もられたのに対し、想定される訴訟の和解金が5000万ドルと算出されたことから「改修費用よりも和解金を払ったほうが、経済利得性が高い」と判断し、部下からの報告を黙殺。欠陥を放置しました。

 その結果、悲劇は1972年5月28日に起こります。半年前に「ピント」を購入したリリー・グレイが、カリフォルニア州の州間高速道路15号線を愛車で走っていると突然エンストを起こし、後続車に追突されて車体は激しく炎上しました。

 この事故によりグレイは焼死し、同乗者のグリムショーは大火傷を負いました。その直後から「ピント」の火災事故が続出し、短期間で数十人のユーザーが被害に遭いました。これによりフォードは被害者とその遺族から117件の訴訟を起こされます。

【欠陥車なのに!?】これが「ピント」から派生した世界的な名車です(写真)

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