幸運の駆逐艦「雪風」で生まれた子たち 名前には「ならでは」の漢字が! 運んだのは “日本の希望” だったか
旧日本海軍の駆逐艦「雪風」といえば、太平洋戦争を生き抜いた強運で知られる艦です。戦後、外国から日本人を運ぶための復員輸送艦に転用された際、なんと艦内で3人の子供が生まれ、その強運にあやかった名前が付けられていました。
1万3000人以上もの日本人を本土へ
翌年(1946年)2月に改装が終わると、「雪風」はすぐに復員業務に携わります。そして外地に取り残された日本人を祖国へと送り届けるべく中国本土や、南太平洋のラバウル、ポートモレスビー、東南アジアのサイゴン(現ホーチミン)やバンコク、そして沖縄本島の那覇など、かつて日本軍が戦った地域を何度も往復し、多くの同胞を日本まで運んだのです。

復員輸送艦のなかには、敗戦の悪影響を受けて乗組員の規律が緩んでいる艦もありましたが、「雪風」は全乗組員が一丸となって乗艦した復員者/引揚者を慰安しました。一方で、「雪風」があまりにきれいに整備されていたので、戦争ではまともに戦わなかったのではと、訝る者もいたといいます。
かくして「雪風」は、1946(昭和20)年12月末まで復員業務に従事。15回もの航海を行いましたが、祖国の再興に向けて一筋の光明が差した海路もありました。艦内で、なんと赤ちゃんが生まれたのです。
生まれたのは3人で、別々の航海でひとりずつなので3度も出産があったことになります。
最初に生まれたのは男の子で、博多に向かっている「雪風」で生まれたため「博雪」君と名付けられたそうです。その後、別の航海で生まれた女の子は2人。それぞれ「雪子」ちゃん、「波子」ちゃんと命名されたと伝えられています。
戦後、復員輸送艦になった「雪風」が運んだ復員者/引揚者の数は1万3000人以上だとか。そのなかに前出した3人の赤ちゃんが含まれています。同艦は、敗戦による失意の引揚の最中に「日本の明日への希望」も運んだと言えるでしょう。
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
水木しげるもこの艦で復員した。
ちなみに南方に送られるときは日露戦争でバルチック艦隊を発見した信濃丸。
やはり特別なものを持っておられる。