日本を大騒ぎさせた「ソ連戦闘機」実は「ちょうどいい感じの酒が取れる」と本国では有名だった!? 酒不足の時代には闇で流通したことも
反アルコールキャンペーンの波が襲う1980年代後半のソ連。酒不足のなか、うらやましがられる職場のひとつが、アルコールが身近にある空軍の整備兵だったようです。
べレンコ中尉が乗っていた戦闘機「酒運搬機」としても有名だった
今から約49年前の1976年9月6日、ソ連空軍のパイロット、ヴィクトル・ベレンコ中尉が、当時謎に包まれていた戦闘機MiG‑25(NATOコードネーム:フォックスバット)を操縦し、北海道の函館空港に強行着陸して大騒動となりました。その後、ベレンコ中尉はアメリカに亡命し、MiG‑25は徹底的に調査されます。その結果、当初の予想に反し、「速さ」以外にはあまり特筆すべき性能はない、意外にも平凡な機体であることが判明しました。

ところで、このMiG‑25、旧ソ連空軍では担当整備兵たちが密かに羨ましがられていた機体でもあります。その理由は、除氷剤として使用されていたアルコールを、こっそり飲むことができたからです。
実は、1970年代から1980年代にかけて運用されていたソ連製軍用機の一部には、人体に有害なメチルアルコールではなく、その気になれば飲用可能なエチルアルコールが、冷却液や除氷剤として使用されていました。その中でも、“酔える液体”の最高級ブランドを“生産”していたのが、他ならぬMiG-25だったのです。
MiG-25は、スピードの維持と燃料節約の観点から、高高度を飛行することが多く、機体の重要な機器や部品を保護するための除氷剤としてアルコールが使われていました。このアルコールは「シャイロ」と呼ばれ、ベレンコ中尉が所属していた部隊では、整備兵が暇つぶしに飲んでいたという逸話も残っています。ただし、同じお酒にも銘柄や品質の違いがあるように、MiG-25の中でもさらに上質な“酔える液体”を提供していたのが、偵察爆撃機タイプのMiG-25RBです。
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