136年そのまま!?「日本一小さな村」が、意外なほど発展できたワケ 電車が便利なだけじゃない「ケンカして勝ち取った」もの

「日本一小さな村」かつ「日本一小さな自治体」が富山県にあります。電車アクセスの利便性から、県都の近郊のベッドタウンとして発展しましたが、その裏には「闘い」の歴史がありました。

"我田引鉄"が村を救った?

 そもそも、住民を呼び込む原動力となった富山地鉄の舟橋村への乗り入れのレールを敷いたのも、冒頭で紹介した「日本のモナコ」宣言をした稲田元村長でした。

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舟橋村立図書館の建物。富山地方鉄道の越中舟橋駅ビルの役割も兼ねている(大塚圭一郎撮影)

『舟橋村史』などによると、富山地鉄の前身に当たる富山電気鉄道の創業者、故・佐伯宗義氏の右腕として用地買収に当たっていた稲田氏は、線路を敷設予定だった近隣の村で「電車が通ると農馬が跳ねて作業できない」といった反対運動が起きていることを聞きつけます。

 稲田氏は5kmの範囲ならば線路の敷設場所を移動できることに着目し、カーブを描いて舟橋村を横断するルートに変更。いわゆる“我田引鉄”ですが、ルート変更のおかげで建設費用の低減にもつながったそうです。

 舟橋村の発展に大きな役割を果たした越中舟橋駅ですが、富山地鉄は無人化することを決めます。駅の空洞化を防ぐため、村は駅ビルを兼ねた舟橋村立図書館を1998年4月1日にオープンしました。

 3階建ての立派な図書館ができたことで駅の来訪者が増え、鉄道利用者が書籍を借りるようになり、村民1人当たりの貸出冊数が日本一になったこともあります。

「大きいことはいいことだ」という概念とは真逆の道をたどり、日本一小さな自治体でも活路が開けることを示してきた舟橋村。ただ、総務省によると日本の2025年8月1日時点の総人口が概算で1億2330万人と前年同月より59万人減るなど急速な少子高齢化が進み、人口減少の波が押し寄せるのは舟橋村も例外ではありません。

 第2期舟橋村人口ビジョンでは2040年の人口目標を2978人としており、25年8月1日時点より359人減る計算です。

 それでも、2040年の人口目標、ひいては60年の目標(2768人)を掲げていることは独立志向が健在なのをうかがわせます。小さな村でも図書館のほかに、舟橋村子育て支援センター「ぶらんこ」、生涯学習拠点の「舟橋会館」といった充実した施設を構えています。

 こうした施設も活用しながら人口減少をできるだけ小幅に食い止める方針で、舟橋村の渡辺 光村長は「『日本一小さな村』から『日本一小さな光りかがやく村』へと進化の歩みを進めます」と意気込んでいます。

※一部修正しました(9/15)

【え…!】これが「日本一小さい自治体」です(地図/写真)

Writer:

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。

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