副都心線が最後だったのに…ダメ押しの新線「東京メトロ豊住線」なぜ実現? やっぱり「押上から先」は夢のワケ

東京メトロ有楽町線の延伸部となる豊洲~住吉間「豊住線」。この区間は半世紀近くの構想段階を経て、現在は建設が進んでいます。そもそも東京メトロの地下鉄建設は、副都心線が最後になるはずでしたが、どのような経緯で豊洲~住吉間の計画が動き出したのでしょうか。

構想「半世紀以上」の8号線分岐線

 2030年代半ばの開業に向けて、東京メトロ有楽町線の豊洲~住吉間の延伸工事が進んでいます。この区間は、同社の公式発表では「有楽町線(豊洲・住吉間)」、帝都高速度交通営団(当時)内部の呼称は「北上線」、一般には豊洲と住吉を結ぶことから「豊住線」と呼ばれることもあります。ややこしいですが、ここでは元々の計画を「8号線分岐線」、今回の整備区間は「(有楽町線)豊洲~住吉間」と区別することにしましょう。

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東京メトロ有楽町線の豊洲駅。使用停止中の2番線と3番線の線路が、将来、住吉方面につながる予定(画像:写真AC)

 東京メトロは現在、豊洲~住吉間と並行して南北線白金高輪~品川間の延伸工事も進めていますが、こちらは2016(平成28)年の交通政策審議会第198号が初出の新しい計画なのに対し、8号線分岐線は1972(昭和47)年に登場した半世紀以上の歴史ある構想です。

 東京の地下鉄整備は関東大震災後の1925(大正14)年に策定された、1~5号線の計画から始まります。1960年代に入ると5路線の整備に目途がついたため、1962(昭和37)年の都市交通審議会答申第6号で6~10号線、1968(昭和43)年の同答申10号で11号線(半蔵門線)、12号線(都営大江戸線の光が丘~都庁前)が追加されました。

 1~12号線のほとんどは郊外と都心を直結する放射線でしたが、高度成長期に都心一極集中が問題化したため、1972(昭和47)年の同答申第15号は池袋・新宿・渋谷の副都心を結ぶ13号線(副都心線)や、山手線の内側を走る12号線環状部、そして豊洲~押上~四つ木~亀有間を結ぶ8号線分岐線が追加されました。

 住吉~押上間は現在、半蔵門線として営業していますが、元々は8号線分岐線の経路です。交通営団は1982(昭和57)年に豊洲~亀有間14.7kmの免許申請を行ったものの、免許されないまま迎えた1985(昭和60)年の運輸政策審議会答申第7号で、半蔵門線と住吉~四つ木間を共有することが決定。こうして結局、半蔵門線水天宮前~押上間の一部として2003(平成15)年に開業したのです。

 このような経緯があり、有楽町線と半蔵門線には8号線分岐線の準備工事がなされています。豊洲駅の2番線・3番線(使用停止中)は住吉方面から有楽町線に合流するための線路であり、2段構造の住吉駅は豊洲方面から半蔵門線に合流できる構造です(現在は車両留置線として使用)。

【新線構想】「豊洲~住吉」と「押上から先」の計画ルートを見る(画像)

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