「エイみたいな飛行機作ったら最強じゃね…?」→どう実現? 「全翼機」実用化までの経緯…悲願達成まで半世紀超!?

アメリカの戦略爆撃機B-2やB-21を生産しているノースロップ・グラマン。その創始者のひとりであり、航空機設計者でもあったジャック・ノースロップは長年、「全翼機」にこだわり続けました。

若きエンジニアが「全翼機」に着目

 アメリカの戦略爆撃機B-2やB-21を生産しているノースロップ・グラマン。その創始者のひとりであり、航空機設計者でもあったジャック・ノースロップ。彼が設計した最初の「全翼機」がN-1Mです。

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ノースロップ社「N-9M」(乗りものニュース編集部撮影)。

 航空機が急速に発展していた1920年代当時、若きエンジニアだったジャック・ノースロップは航空機の次なる飛躍は全翼機であると考えるようになります。その理由は、全翼機は空気抵抗の原因となる尾翼と胴体を一体化させ、空気抵抗を減らした形態であるため、従来機より効率の良い飛行が可能となるのです。

 彼は自身の理論を証明するために実験機を製作し始めます。最初の実験機は1929年に初飛行したX-216Hでした。ただし、この機体は翼の中央部に操縦席が収まる厚い翼から後方にブームが伸びて尾翼とつながる構成であったため、完全な全翼機ではありませんでした。しかし、この機体から得られたデータをもとに次の試作機の設計と進めます。

そして、当時、ノースロップが興味を持っていたのがドイツで1934年頃から全翼グライダーの研究を行っていたホルテン兄弟の存在でした。ホルテン兄弟は全翼グライダーで記録を達成していたのです。

 ノースロップはそれまでの実験で得られたデータを基に完全な全翼機を設計します。それがN-1Mとして完成し1941年7月、初飛行に成功します。

 層流翼を用いたこのN-1Mはピストンエンジンを2基搭載していましたが、重量が過大で出力不足のため65馬力のエンジンを117馬力のエンジンに換装して試験が続けられました。N-1Mの結果に満足したノースロップは全翼機の可能性を確信します。その可能性に自信を深めたノースロップは陸軍の長距離大型爆撃機計画に参加します。

 1941年12月、米陸軍航空隊(米空軍の前身)は10000ポンド(約4530kg)の爆弾を搭載して往復10000マイル(約16000km)の航続距離を持つ超長距離爆撃機の提案要求を出します。この爆撃機の開発はコンソリデーテッド社とノースロップ社に発注されました。

 コンソリデーテッド社の案は当時の新型爆撃機B-29を一回り大きくした空前の大型機でしたがノースロップ社の案は先進的な全翼機でした。史上初の大型全翼機となるため、設計に必要なデータ収集と全翼機特有の飛行特性をパイロットに習熟してもらうことを目的に、実機の3分の1のサイズである実証機が製作されます。

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