バブル絶頂期に描かれた「未来鉄道」は実現したのか “狂気の大風呂敷”の答え合わせ

東京の膨張がいつまでも続くと信じられていたバブルの時代に書かれた「21世紀の東京圏の鉄道交通」とは、どのようなものだったのでしょうか。後に実現したものから夢に終わったものまで、当時の論文に記された様々な提言を振り返ります。

成長が続いた未来、東京圏の鉄道はどうなっていた?

 昭和の末から平成初頭にかけて日本全土を熱狂させた「バブル景気」。経済循環の観点では1986(昭和61)年12月から1991(平成3)年2月頃の5年間を指しますが、株価は1989(平成元)年末の3万8915円をピークに翌年秋には約4割下落しており、1990(平成2)年初頭にバブルは崩壊したと見るのが一般的です。

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バブル景気の頃にかけて具体化しつつあったつくばエクスプレス(画像:写真AC)

 とはいえ好景気の渦中では「これは一過性のものに過ぎない」とは考えないもので、当時の雑誌の記述を見ても「バブル」の用語が登場するのは崩壊直前のこと。少なくない人々が、日本の成長はこれからも続くと信じていたのです。

 例えば中銀カプセルタワービル(東京都中央区、2022年解体)や国立新美術館(同・港区)を設計した建築家・黒川紀章氏を含む学識者8人は「グループ2025」を結成し、1987(昭和62)年5月に「昭和100(2025)年」を目標年次とする「東京改造計画の緊急提言」を発表しました。

 構想の中核は、土地が足りず、高騰しているのであれば、東京湾に3万ヘクタール、人口500万人規模の「新首都新島」を造成して大量供給しようというもの。東京23区のおよそ半分の面積の島が、東京湾の内陸寄り(今で言えば東京湾アクアラインの内側)にすっぽり収まるイメージです。

 この「新首都」を中心に、国道16号や外環道、首都高速中央環状線に沿って地下鉄を建設、また名古屋・京都・大阪と「新・新幹線(リニアモーターカー)」で接続し、世界都市・東京の発展を列島全体に波及させようという、良く言えばロマンあふれる、今となっては狂気のような構想でした。

 そんな時代、交通業界はどんな未来像を描いていたのでしょうか。「日本鉄道電気技術協会」が1991年に募集した懸賞論文の入選作品「21世紀の東京圏における鉄道交通」(『鉄道と電気技術』2巻10号)から、その一端を垣間見るとしましょう。

【今は無理?】バブルの頃に生まれた豪華列車(写真)

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