ANA系新ブランド“2年で終了”/15年続く「ピーチ」の成功 何が違う? 前トップが明かす“モーレツな時代”
ANAホールディングスのAirJapanブランドが約2年で終了する一方、LCCのピーチ・アビエーションは設立15周年を迎えます。同じANAグループで明暗が分かれた背景を、ピーチの前トップが明かした成功の秘訣から読み解きました。
「ミニANAを作ってはならない」が至上命題だった
ピーチは2011年2月、全日本空輸(ANA、現ANAホールディングス)と投資会社の合弁会社「A&F・Aviation」として設立。12年3月1日に関西―札幌(新千歳)線と関西―福岡線の運航を開始して路線を順次広げました。
筆者は当時、国土交通省記者クラブに所属して航空業界を取材しており、ANA関係者から「(ピーチ初代CEOで現・全日本空輸社長の)井上慎一さんをはじめとするA&F幹部が体育会系のノリで、『不退転の決意で新たな航空会社を作るんだ』という理由でANAを辞めて片道切符で会社の設立準備をしている」と聞いていました。
ピーチのCEOを2020年4月から3年間務めた森 健明氏は講演で、この内容を裏付ける証言をしました。井上氏から「新しい会社はANAの延長線ではダメだ。ミニANAを作ってはならない」と告げられ、ANAから「完全退職」するかどうかの選択を迫られたと振り返りました。
マニュアル作成や採用活動に当時追われていた森氏は「完全退職」の重みを認識しつつも、「迷っている時間も惜しかった」として結果的に退職を選択。「退職を機に『やってやろう』とスイッチが入った。スタートアップメンバーにとっても、『退路を断ち軌道に乗せる』という結束力が大きな力となった」と打ち明けました。
とはいえ、設立から就航までわずか1年というハードスケジュールの中で「日本にLCCの前例がなく、結構大変だった」と森氏は述懐します。そこで頼ったのが、海外の航空業界に精通した華々しい専門家たちでした。
特にフルサービスキャリアだったライアンエアーをLCCへと転換させ、その後ヨーロッパLCC最大手へ躍進させた元会長のパトリック・マーフィー氏をアドバイザーに起用したことは、「レジェンドと呼ばれている存在だけに、ピーチ成功の鍵となった」と語ります。
「経営会議は外国人アドバイザーと日本人がほぼ半々。英語で議論を戦わせた」と森氏は説明し、この外資系企業のような雰囲気が後の多様性を強みとする企業風土の礎となりました。





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