ANA系新ブランド“2年で終了”/15年続く「ピーチ」の成功 何が違う? 前トップが明かす“モーレツな時代”
ANAホールディングスのAirJapanブランドが約2年で終了する一方、LCCのピーチ・アビエーションは設立15周年を迎えます。同じANAグループで明暗が分かれた背景を、ピーチの前トップが明かした成功の秘訣から読み解きました。
「多国籍」かつ「異色の経歴」多めの軍団に
航空人材が首都圏に集中している中で、大阪府泉佐野市に本社を置き、関西空港をハブ(拠点)空港として創業したピーチ。それだけに事業拡大には外国人の活用や、航空業界以外からの人材獲得が避けて通れませんでした。
森氏がCEOを務めていた22年11月時点で、社員約1800人は27の国・地域出身の「多国籍軍団」となっていました。パイロットや地上スタッフで多くの外国人が活躍したほか、日本人の客室乗務員(CA)に元小学校教員や警察官出身者が就くなど多様な人材を擁していました。
「バックグラウンドが異なる集団の経営には難しさもあるが、自分の知らない経験を持つ社員と仕事をするのは楽しかった。それが当時のピーチの原動力だった」と森氏は強調しました。
ピーチは当初、ANAの出資比率が33.4%にとどまり、投資会社、官民ファンドの産業革新機構(現INCJ)がそれぞれ33.3%を出資していました。ANAHDは2017年にピーチを連結子会社化し、19年には傘下のLCCだったバニラ・エアと統合させて「ピーチ」ブランドに一本化。24年には全額出資子会社にしました。
「プランB」があったAirJapan
創業時の幹部がANAに退職届を出す「片道切符」で背水の陣を敷き、海外の航空業界のエキスパートの知見を積極的に取り込み、幅広いバックグラウンドの多国籍人材や、さまざまな業界の出身者を積極的に受け入れて成長を目指す企業風土を築いたピーチ。そんな「モーレツ」な姿勢が、本格的なLCCが不在だった日本で道なき道を切り開き、事業を大きく拡大する原動力となりました。
これに比べると、AirJapanブランドがたどった軌跡は「おっとり」していたと言えそうです。運航するエアージャパン(千葉県成田市)は既にANAHDの全額出資子会社で、ANAブランドの国際線の一部も運航しているため「後ろ盾」がしっかりしています。しかも運航しているのは、ANAグループの戦略機材であるボーイング787です。
したがって、社名をローマ字表記したAirJapanのブランドが定着しない場合には、ANAブランドへ移行するという代替案「プランB」を用意しやすい状況でした。このため、2026年3月のAirJapanの終了後は、運航に携わってきた人材も機材も比較的スムーズにANAブランドへシフトできるソフトランディング(軟着陸)が待ち受けていそうです。
他方でピーチがもしも草創期に失敗に追い込まれていた場合、日本でのLCCを定着させようと意欲を燃やしていた貴重な人材が路頭に迷うハードランディング(硬着陸)に追い込まれるリスクがありました。そんなリスクを背負い込んで成功を勝ち取った井上氏や森氏ら創業期のメンバーの「モーレツ」ぶりには感服します。
ただ、人手不足が大きな課題となっており、企業が万全な事業継続計画(BCP)を立てることが求められている今の時代には、ピーチの背水の陣はリスクが大きすぎるとも言えます。
その意味では、AirJapanブランドの寿命は約2年と短命に終わっても深手の傷を負う前に見切りを付け、ANAの機材拡充に貢献する「プランB」を選んだエアージャパンの戦略は時宜にかなっているのかもしれません。
Writer: 大塚圭一郎(共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)
1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。





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