「ソ連の裏庭に姿見せてやれ!」米国による “名誉挽回の大作戦” その背景とは?「世界初の原子力潜水艦」誕生秘話
1950年代、アメリカは世界初の原子力潜水艦として「ノーチラス」を就役させます。こうして新兵器を手に入れたアメリカは、宇宙開発競争で優位に立っていたソ連を見返そうと、乾坤一擲の一大作戦を実施しました。
名文句「本艦は原子力にて航行中」が生まれた背景
リッコーヴァーは品質、納期、そして人選に厳しい完全主義の独裁者的存在で、軍人にもかかわらず、ほとんどの時間をスーツで勤務しました。その理由は、民間の科学者や技術者と過ごす時間が長いので、周囲が違和感を持たないようにするためだったといわれています。
かくして、潜水艦に搭載可能な小型原子炉であるS2W加圧水型が、ウェスティングハウス・エレクトリック・コーポレーション社で造られました。実はリッコーヴァーの原子力潜水艦開発は、この小型原子炉の実用化がほとんどを占めていたと言ってもよいほどでした。
なぜなら、動力さえ確保できれば極端なハナシ、「どん殻」となる船体は、既存の技術で造られた潜水艦でも、とりあえずは通用するからです。そこで船体は、第二次大戦型潜水艦のテンチ級などに用いられた海中性能向上改修である「ガピー改修型」に類似した形状とされました。そのため、水上における最大速力は22ノット(約40.74km/h)で、水中最大速力についても、水上よりもわずかに速い23.3ノット(約43.15km/h)でしかありませんでした。
今日の原子力潜水艦が、水中最大速力で30ノット(約55.16km/h)以上を発揮するのと比べると、初めてだからとはいえ、速力に関しては特段突出した性能を持っていたわけではありません。
ちなみに、武装は魚雷のみで、その発射管は艦首の右舷と左舷にそれぞれ3門ずつ計6門が装備されました。
こうして生まれた世界初の原子力潜水艦は「ノーチラス」と命名され、潜水艦の建造では歴史のあるエレクトリック・ボート社グロトン造船所で造られたのです。
そして1955年1月17日、グロトンを出港した「ノーチラス」はロングアイランド海峡へと進み、11時ちょうどに同行する潜水艦救難艦「スカイラーク」に向けて、短い発光信号を発しました。
「Underway on nuclear power(本艦は原子力にて航行中)」
かくして、世界初の原子力動力艦船で、かつ世界初の原子力潜水艦が完成したのです。





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