【空から撮った鉄道】引退決まった「100年電車」箱根路の“最古豪” 秋空での出会い 「少し前まではすぐ出会えたのに…」
箱根登山電車(小田急箱根鉄道線)は、開業時から走り続けているモハ1形と2形が現役ですが、いよいよ終焉の時が近付いてきました。ある秋の日、空で出会った模様をお伝えします。
この記事の目次
・引退時期が決まったモハ1形・2形
・小涌谷駅でアレグラ号と列車交換
・強羅発の列車は急カーブを抜けて小涌谷へ
【画像枚数】全13点
引退時期が決まったモハ1形・2形
箱根登山電車は1919(大正8)年、箱根湯本~強羅間が開業しました。この時に木造車体のチキ1形電車が誕生し、後にチキ2形、チキ3形と製造されました。これらの車両は1950年代に鋼製車体へと改造され、あわせて形式がモハ1形、モハ2形、モハ3形に変更。モハ1形は101~107号(105号は事故により欠番)、モハ2形は108~112号、モハ3形は113~115号となって、長らく箱根登山電車の顔として活躍してきました。
モハ1、2形は駆動方式を吊り掛けから中空軸平行カルダンへと換装した車両もあり、車内はロングシート車とセミクロス車がありました。外観は同じように見えても、車内は車両によって差異があったのです。
さらに1993(平成5)年からは輸送力増強のため、両運転台構造だったものを2両固定編成化することとなり、モハ1形が2両固定編成に変わりました。モハ2形は両運転台車のまま残して増結用とし、モハ1形と連結して計3両編成として運行されました。ペアとなったのは、101+102号(吊り掛け駆動)、103+107号(吊り掛け駆動)、104+106号(カルダン駆動)で、この編成にモハ2形が連結される日がありました。
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Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。日本写真家協会(JPS)正会員、日本鉄道写真作家協会(JRPS)会員。




