ドイツ潜水艦に「神棚」があった!? 日独をつないだ「過酷な作戦」 100年にわたる“水面下の交流”とは

第二次大戦末期、降伏したドイツ潜水艦から日本の「神棚」が見つかりました。「子供のおもちゃにちょうど良い」と言うイギリス軍の軍医を前に、ドイツ海軍の乗組員は、ある決断を下します。

ドイツ海軍乗組員の「怒り」と「安堵」

 第二次大戦で、日本海軍は再びドイツ潜水艦を入手することになります。インド洋での通商破壊戦を日本に実行してもらうため、ドイツは潜水艦2隻を譲渡したのです。

 そのうちの1隻であるU-1224は、日本に移籍された後「呂号第五百一潜水艦」(呂501)となります。この潜水艦は、先に紹介した伊号第八潜水艦による第二次遣独作戦で派遣された回航員が受領し、回航員はドイツ海軍潜水艦学校で、操艦のため数か月間の教育訓練を受けています。

 ここで、呂501の艦長である乗田貞敏少佐以下日本海軍の乗組員は、ドイツ海軍乗組員と交流を深めます。潜水艦学校を一緒に卒業した同期のドイツ海軍乗組員は、その多くが就役したばかりのU-875に配属されることになりますが、日本海軍乗組員は友誼の証として、彼らに日本の「お守り」である神棚を贈りました。これがイギリス軍の軍医が発見した、U-875に祭られた神棚だったのです。

 一方、呂501を受領した艦長乗田貞敏少佐以下の日本海軍乗組員は、3月30日に日本へ向けて出港しました。しかし、5月13日に大西洋・カーボベルデの北西で、アメリカ海軍の駆逐艦に撃沈されています。

 海上自衛隊潜水艦教育訓練隊の史料室に保管されているドイツ海軍乗組員の日記には、次のように書かれているそうです。

「降伏したU-875艦内でイギリス軍医が、将校室にあった日本の乗員が贈ってくれた神棚を見て『子供のおもちゃにちょうど良い』と言うのを聞きました。そのことに衝撃を受け、皆で相談しすぐさま先任将校に『調理のごみをデッキから廃棄して良いでしょうか』と許可をもらい、生ごみとともに神棚を木片にばらして海に沈めたのです。その木片が乗田艦長やわが友久保田やその仲間たちの沈んだ太平洋に消えてゆくのを、怒りと、ああ良かったと二つの思いで眺めたものでした」

 現在、海上自衛隊は通常型潜水艦22隻を保有し、世界初のリチウムイオン電池を搭載するなど、建造技術と運用能力では世界最上位クラスと見なされています。背景には「邪は正に勝たず 兇暴を逞ふせる独逸潜水艦の末路」と書き留めて始まった、ドイツとの長い縁があります。

 シュテッティンの第4潜水艦隊のゲストブックには、1943年12月に、乗田艦長ら呂501乗組員が記帳したとされる詩が残っています。

「盟邦獨逸の戦友が 心をこめしお別れの 言葉を後に勇み立ち 皇国に今ぞ帰らむ」

 そして21世紀になった現在、日本とドイツは潜水艦受注の競合関係となっています。

【写真】当時の映画にも登場した「潜水艦の神棚」

Writer:

1975(昭和50)年に創刊した、50年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。

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