これ「廃線跡」か…! 78万都市のど真ん中を横切った“奇妙な線形” 残る鉄道の痕跡 今は高架でまっすぐJR接続
浜松駅から北へ大通りを歩くと、遠州鉄道の廃線跡が見えてきます。かつてこの線路は街の中心を横断し、途中駅で1回折り返してから新浜松駅に至る特徴的な経路でした。なぜこのような複雑なルートとなったのでしょうか。
廃線跡であることを物語る街なかの緩いカーブ
もとをたどれば、遠州馬込駅(開業当時は馬込駅)は1909(明治42)年に大日本軌道浜松支社中ノ町線の駅として開業しました。1924(大正13)年2月、東海道本線の浜松駅と貨車のやり取りを始めます。
遠州馬込駅は貨車のやり取りには便利だったものの、旅客駅の浜松駅からはやや離れた所に位置していました。このアクセスを向上させるため、1927(昭和2)年9月には旅客駅の浜松駅最寄りとなる新浜松駅(開業当時は旭町駅)が開業します。
ただし、ルートはすでに開業していた遠州馬込駅からの延伸となることから、ここでスイッチバックを行い新浜松駅へ向かうという、特徴的な運転経路が出来上がったのです。
国鉄浜松駅の貨物扱いは、東海道本線の高架化に先立ち新設された西浜松駅へ、1976(昭和51)年10月に完全移管されます。遠州鉄道では、この年の4月1日に貨物扱いを終了。国鉄との貨車のやり取りもなくなった遠州馬込駅は、その後もスイッチバックの駅として残りますが、助信~新浜松間の高架化完成により1985(昭和60)年11月30日いっぱいで営業を終了し、現在のルートに切り替わりました。
旧線が走っていた場所では、かつての面影がほとんどなくなっています。しかしじっくり観察すると、不思議な形の建物やゆったりとしたカーブを描く道路など、鉄道の雰囲気をそこかしこに感じることもできます。
例えば、遠州病院駅のすぐ北東側からクリエート浜松側へ至る歩道は緩やかに左へカーブしていますが、これはまさに鉄道が走っていた跡です。この歩道を道なりに進むと、冒頭で紹介した遠鉄浜松駅跡に到着します。
また、この歩道の入り口から振り返ると、途中で緩やかに曲がる駐車場を見ることができます。これも遠州鉄道の廃線跡で、わずかに折れ曲がるところが鉄道の廃線跡ならでは。
浜松市楽器博物館にも特徴的な形状が見られます。建物の北東側が不自然に面取りされたようになっており、柵と隣接するバイクの駐輪場が緩やかな曲線を描いているのです。博物館の建設は新線への切り替え後しばらくしてからですが、鉄道が走っていた雰囲気を色濃く感じることができます。
助信~新浜松間の高架化により、遠州鉄道鉄道線は全線の所要時間が4分短縮しました。都市開発によりすっかり影を潜めた感のある旧線跡ですが、ふとした名残から当時に思いを馳せてみるのも一興かもしれません。
Writer: 和田 稔(ライター・カメラマン)
幼少期、祖父に連れられJR越後線を眺める日々を過ごし鉄道好きに。会社員を経て、現在はフリーの鉄道ライターとして活動中。 鉄道誌『J train』(イカロス出版)などに寄稿、機関車・貨物列車を主軸としつつ、信号設備や配線、運行形態などの意味合いも探究する。多数の本とNゲージで部屋が埋め尽くされている。





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