日本側大敗の危険もあった!? 史上初の空母決戦「珊瑚海海戦」とは 実は大勝すればその後の戦況も変わっていたかも?
史上初の空母同士の戦いとなった「珊瑚海海戦」ですが、戦争にどのような影響を与えたのでしょうか。
お互い意思疎通が困難でグダグダに
史実では、日本軍の攻略船団を早急に阻止すべきだとの判断から、第16任務部隊の到着を待たずに戦闘が開始されます。しかし、あと2日待っていれば、アメリカ側は大型空母4隻体制となっており、日本側は兵力で圧倒される状況にありました。
日本軍は、「翔鶴」「瑞鶴」を主力とする五航戦を攻撃の中核とし、「祥鳳」は輸送船団の護衛に充てました。「祥鳳」は潜水母艦を改装した小型空母であり、当時から「小型空母1隻を船団に付けても意味がない」との意見もありましたが、日本軍は兵力を分散させる判断を下します。
5月5日午前10時、九七式飛行艇がアメリカ艦隊を発見します。日本空母艦隊は攻撃準備を整えて南下しますが、索敵の不備により、アメリカ空母部隊に約70浬(約130km)まで接近しながらも見逃してしまいました。アメリカ側も日本艦隊を発見できず、両者は交戦に至りませんでした。日本側は攻撃力の低下を嫌い、索敵に投入する艦上攻撃機の数を抑えていたのです。
5月7日、日本軍はラバウルの陸上攻撃機、ツラギの飛行艇、空母艦載機を用いて索敵を行います。航空参謀は西方索敵を主張しましたが、原司令官は南方索敵を指示しました。実際にはアメリカ艦隊は西方におり、南方には補給部隊が存在していました。
しかし「翔鶴」の偵察機が「空母、油槽船、重巡洋艦を発見」と報告したため、日本軍は午前6時15分、78機の攻撃隊を発進させます。7時15分に敵艦隊上空へ到達した攻撃隊は、空母が存在しないことに気付き、周辺の再索敵を行いました。
8時50分、日本軍重巡洋艦の偵察機が西方で「サラトガ型空母」を発見したと報告します。10時35分になって、「翔鶴」の偵察機から「我が触接せるは油槽船の誤り」と訂正報告が入り、五航戦は混乱状態に陥りました。結局、日本軍は油槽船「ネオショー」を大破させ、駆逐艦1隻を撃沈したのみで、空母を取り逃がす結果となります。
アメリカ側では7時35分、「ヨークタウン」の索敵機が「空母2隻発見」と報告し、92機の攻撃隊を発進させました。さらに10時12分、B-17爆撃機が「空母1隻、油槽船10隻」などを発見したと報告します。直後に、先の「空母2隻」は巡洋艦2隻の誤認であったとの訂正が入り、攻撃隊は空母1隻の方へ向かいました。
この空母1隻が「祥鳳」でした。「祥鳳」はアメリカ空母に対抗できず退避を試みますが、9時17分からの攻撃を受け、撃沈されてしまいます。
敵空母を発見できないまま「祥鳳」を失った日本軍の井上司令官は動揺します。その後、重巡「衣笠」の偵察機が敵艦隊を発見したとして、ラバウルから陸上攻撃機隊が発進しました。この部隊はアメリカ艦隊の戦艦を撃沈したと認識しましたが、実際の戦果はありませんでした。
13時15分に攻撃隊を収容した日本空母艦隊は、敵艦隊までの距離が遠いとして当初は攻撃を躊躇しました。しかし距離が縮まったと判断し、16時15分に攻撃隊を発進させます。この時刻での出撃は帰還が夜間となるため、極めて危険な判断でした。
日本艦隊は護衛戦闘機を付けずに27機の攻撃隊を発進させましたが、アメリカ側はレーダーでこれを捕捉し、戦闘機による待ち伏せを行ったため、攻撃は失敗に終わります。日本軍の艦爆の一部は味方空母と誤認してアメリカ空母に着艦しようとし、ここで初めてアメリカ機動部隊の存在が明確になりました。さらに夜間着艦の失敗も重なり、27機中21機を失う結果となります。
5月8日午前6時22分、日米両軍はほぼ同時に互いの空母を発見します。アメリカ軍は6時45分に73機、日本軍は7時30分に69機の攻撃隊を発進させました。
アメリカ軍攻撃隊は「翔鶴」に爆弾3発を命中させ、中破させます(なお、アメリカ側は撃沈したと誤認していました)。一方、日本軍攻撃隊は「レキシントン」に魚雷2発、爆弾2発を命中させ、この被害によるガソリン引火で大火災が発生し、「レキシントン」は自沈に追い込まれます。「ヨークタウン」も爆弾1発の命中により小破しました。





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