日本橋に空は必要か 川の水面から眺める首都高のいまの姿(写真50枚)
日本橋川を船で遡上、頭上はほぼ高架
左手に築地市場を眺めながら隅田川をさかのぼり、やがて永代橋を過ぎると、左手に日本橋川とその最下流に架かる豊海橋が見えてきます。ここから日本橋川へと入っていきます。
隅田川に比べると川幅は一気に狭まりますが、それでも今回レンタルしたヤマハ発動機の6人乗りボート、AS-21には十分な広さです。豊海橋、ついで湊橋をくぐると、右手から首都高6号向島線の高架がせりだしてきて、やがてその桁は頭上に架かってきます。
6号向島線は江戸橋JCT(東京都中央区)でC1都心環状線と分岐し、隅田川の東岸を走り、堀切JCT(東京都葛飾区)で中央環状線に接続します。1972(昭和47)年に向島までの一部区間が開通、1982(昭和57)年に向島から千住宇新橋までが開通しました。
茅場橋、鎧橋をくぐったあたりから高架が分岐し、やがて6号向島線の起点、江戸橋JCTが迫ってきます。1963(昭和38)年、都道首都高速1号線(当時)の延伸および分岐部分として作られ供用が開始されました。そのすぐわきに、名前のもとになった江戸橋があります。ここから先、日本橋川の上に架かるのは、C1都心環状線になります。
江戸橋のひとつ上流に架かるのが、川の名前にもある日本橋です。旧東京市の道路元標が置かれた場所で、大正時代の国道は「東京市より○○府県庁所在地○○に達する路線」とされていたため、つまりすべての国道の起点がこの道路元標でした。現在はそうした法的な規定はありませんが、橋の中央には「日本国道路元標」が埋め込まれており、また国道1号や4号、6号、20号などの起点でもあります。
>もしも日本橋川が空を取り戻し、水面が明るくなったなら、より美しい川辺の景観が広がることになるのかもしれません。
>世界初の都市高速である首都高の、ビルの合間を縫うように高架が走る姿は、これまでSF映画などの創作物へ大いにインスピレーションを与えてきたという声も聞きます。日本橋の上に首都高の高架が走る景観こそが、地層のように歴史が積み重なっている姿であるという見方もできるでしょう。
双方ともに、大いなるエゴイズム。
各自の自己満足のためにこの問題が議論されることは、日本橋自身も望んじゃいないだろう。
日本橋が懸かった時にも、「景観を壊した」と思った人がいたかも。日本橋も地下化しますか? 同様に、周囲の建物も取り壊しますか?
...という事かと理解した。
清水 草一さんか?
私もそう思いました。
けど、乗り物ニュースから引退したのでは?
日本橋が歴史的に重要というのもあるが、日本橋そのものをどうこうしているわけでなく、その上を走る首都高にも歴史がある。
観光化のためとの意見もあるが、日本橋の上に高速が走るのも、日本の風景である。電線も外人からしたら注目のポイントになっている。
一番費用のかからない方法を望む。
ご承知と思いますが、日本橋の地下道に200年前の日本橋付近を描いた熈代照覧絵巻が飾って在ります。
空を取り戻した未来の日本橋を早く見たいものです。
高速の地下化によるメリットデメリットは景観と高額の建設費だけではないのだから、他のメリットデメリットも議論すべき。
メリットとしては線形の悪さからくる死傷事故の多さや渋滞の改善、地盤が振動を抑制することから橋梁に比べて耐震性が高くなる、換気所を通すことによる大気汚染の改善など。
デメリットとしては土木遺産として価値のある首都高が失われること。
個人的には今の酷すぎる線形のまま更新するぐらいなら地下化してもよいのではないかと思う。
ここに橋が架かったのは400年以上も前のこと。この400年を前に高々50年そこらの時間で、しかも当時だって仕方なく渡した高架を「歴史」と語るとは何ともおこがましいですが、それ以前に空はあるのが当然のものであって観光のために取り戻すという発想がそもそも貧しいですね。