日産「シーマ」(初代) なぜ「現象」と評されるほど世間に受け入れられたのか

日産「シーマ」(初代)は、「シーマ現象」という流行語が生まれるほど、知名度と人気の高さを誇るクルマです。なぜそこまで受け入れられたのか、そこにはもちろん、納得の背景がありました。

その成功は「セドグロ」にあり?

 1980~90年代、「クルマの持つイメージ」というのは、とても大切なものでした。趣味趣向だけではなく、思考や人格、心意気までも、「何、乗ってるの?」の質問ひとつで推し量られていた、いま思うとなかなか強引な時代でした。その真っ盛り、1980年代後半から始まる「VIPカー」、「ハイソカー」ブームを、トヨタ「クラウン」と共に牽引した1台が、日産「シーマ(FY31)」です。

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日産「シーマ」(初代)。販売系列店ごとに「セドリック シーマ」「グロリア シーマ」がラインナップされた(画像:日産自動車)。

 初代「シーマ」が発売されたのは、1988(昭和63)年1月のことです。その売り上げ台数の多さから「シーマ現象」という言葉まで生まれましたが、ヒットの土壌を作ったのが、前年の1987(昭和62)年6月にデビューした、7代目「セドリック」と「グロリア」、通称「セドグロ(Y31)」でした。

 当時、セダンはおじさま方が乗られるクルマという認識でした。ボディは角張ったデザインで、インテリアもシートが無駄にフカフカし、6代目「セドグロ(Y30)」のインパネは通称「絶壁パネル」と呼ばれるタイプ。若者の人気は、スポーツカーに一点集中していました。

 そこに登場したのが、前述の「セドグロ(Y31)」です。直線一辺倒ではない流麗なラインを持つボディには、スポーティなフロントバンパーがあしらわれ、インテリアもすっきりと一新されました。

 決定的だったのは「グランツーリスモ」というグレードの設定です。4輪独立懸架の採用などで足回りを整えるとともに、セラミックターボエンジンのVG20DET(V型6気筒2000cc DOHCターボ)を搭載。「セラミックターボエンジン」は日産が初めて商品化した技術で、軽量で抵抗が少なく、画期的な新技術として注目されていました。いまでも、ある一定以上の年齢層は、「セラミックターボ」の単語に思わず1オクターブ上の声で反応してしまいます。

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コメント

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5件のコメント

  1. シーマ2代目はセドグロ、プレジデントのモデルチェンジ、国内仕様のインフィニティ、Jフェリー発表等の影に隠れてしまい程なくバブル崩壊の憂き目にあったまさしくバブルの落とし子的な存在だった。
    バブル崩壊直前の湾岸戦争でガソリン高騰し、低燃費に舵を切る風潮もあった。

  2. あらためて見ると、余分なプレスラインやデコボコがないスタイリングは好ましい。

  3. 俺らはY31末期に追加されたブロアム系ではないクラシック系にVG30Eを搭載した30SVを選びました。シーマは価格も高い割りには結局はY31、随所に見て取れる共通骨格や車内構成などで断念、これらは2代目シーマもセドグロに準じてましたが、VH41DE搭載やセダンへの変換、更には4WDの追加などバブルに乗って売れた初代よりも確かにニーズに配慮したモデルでした。僅か100ccの差から税率が上がる問題や、妙にQ45を超してはならないような物造りに議論もありましたが、別の道を歩み始めた2代目も俺ら個人的には成功した車だと思います。

  4. これがシーマ現象なら、プラットフォーム共通化でコストを削る曲がり角だったのかも?これ以前から共通構造なるものはあったけど、あの崩壊から各メーカーがこの方式に一気に加速しましたね、今やスカイラインからプレジデントまでインフィニティーブランドを日本名で言われても車が似てて何が何だか?分からんし、初代マジェスタこそクラウンを名乗りつつフレーム構造から脱却した車なのに、何とクラウンから名目独立したはずの現マジェスタがクラウンとの差別化に前クラウンの3500V6のハイブリッドを採用するなど?何か車を選ぶと言うより企業の船に乗らされてる感がするのはボクだけでしょうか?

  5. 前記事のレパードも同じ血族で売り出すタイミングで光を見ないというか?ただ車って愛着があると所有してるだけで嬉しいし、車庫に止めてあるのを眺めてにニヤニヤ?するのもいいし?グラントリノと言う映画の1シーンで主演俳優が車庫で酒を飲みながら自分の旧車のアメ車を眺めて、いい車だ!と言う、こんなオーナーなら世間で光を浴びなかった車も幸せでしょう。プリンス系がグロリアで日産系がセドリックとしてシーマを扱うような双子車販売も今はプリウスのように全体で扱う時代からすれば、これもバブルの象徴だったのですかね?