日産「シーマ」(初代) なぜ「現象」と評されるほど世間に受け入れられたのか
「セダン」アゲの雰囲気のなか、万を持して「シーマ」登場
「見た目もいいし、わりと速いし、セダンっていいじゃん」
そんな時代の雰囲気の中、満を持して登場したのが、日産のフラッグシップモデル、「シーマ(FY31)」(正式名は「セドリック シーマ」/「グロリア シーマ」)だったのです。前年秋の東京モーターショーから1月の発売までの間に十分現場は温まっており、発売直後から「シーマ」は瞬く間に人気モデルとなります。
「シーマ」と「セドグロ」の大きな違い、それは、シーマが「3ナンバー専用モデル」だったということです。同じモデル内に3ナンバーと5ナンバーがある場合、小さめに作ったベース(5ナンバー)のボディに、オーバーフェンダーを付けたりしてサイズアップを図り、3ナンバーモデルとして発売する、という作り方が一般的でした。そうなると、どうしてもデザイン的な制約が出てしまいます。これは3ナンバーと5ナンバーで大きく異なる自動車税や物品税の存在が理由で、たとえば後者は5ナンバーの18.5%に対し、3ナンバーは23%だったのです。
ところが「シーマ」は、最初から3ナンバーのクルマとしてデザインされたため、単体で完成されたデザインを誇っていました。全体的に丸みを帯びたフォルムは、いかにも「高級車!」という風情。ボディサイズは全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mmと、「セドグロ」よりひと回り大きくなりました。そして1989(平成元)年には自動車税が改正になり、物品税が廃止(一方で消費税を導入)。「シーマ」には追い風となります。
更に、V型6気筒ツインカムターボエンジンも、市場に強いインパクトを与えました。このVG30DET(V型6気筒2960cc DOHCターボ)エンジンは、当時の日産における最高出力255ps/6000rpmを記録。直線での加速は、それまでとは異次元の感覚でした。外から見た姿勢は、まるで軽くウイリーするかのように後輪がぐっと下がって見えるほどで、室内でも分厚いシートに押し付けられるように沈み込むと、「ああ、高級車に乗ってる!」と陶酔したものです。
シーマ2代目はセドグロ、プレジデントのモデルチェンジ、国内仕様のインフィニティ、Jフェリー発表等の影に隠れてしまい程なくバブル崩壊の憂き目にあったまさしくバブルの落とし子的な存在だった。
バブル崩壊直前の湾岸戦争でガソリン高騰し、低燃費に舵を切る風潮もあった。
あらためて見ると、余分なプレスラインやデコボコがないスタイリングは好ましい。
俺らはY31末期に追加されたブロアム系ではないクラシック系にVG30Eを搭載した30SVを選びました。シーマは価格も高い割りには結局はY31、随所に見て取れる共通骨格や車内構成などで断念、これらは2代目シーマもセドグロに準じてましたが、VH41DE搭載やセダンへの変換、更には4WDの追加などバブルに乗って売れた初代よりも確かにニーズに配慮したモデルでした。僅か100ccの差から税率が上がる問題や、妙にQ45を超してはならないような物造りに議論もありましたが、別の道を歩み始めた2代目も俺ら個人的には成功した車だと思います。
これがシーマ現象なら、プラットフォーム共通化でコストを削る曲がり角だったのかも?これ以前から共通構造なるものはあったけど、あの崩壊から各メーカーがこの方式に一気に加速しましたね、今やスカイラインからプレジデントまでインフィニティーブランドを日本名で言われても車が似てて何が何だか?分からんし、初代マジェスタこそクラウンを名乗りつつフレーム構造から脱却した車なのに、何とクラウンから名目独立したはずの現マジェスタがクラウンとの差別化に前クラウンの3500V6のハイブリッドを採用するなど?何か車を選ぶと言うより企業の船に乗らされてる感がするのはボクだけでしょうか?
前記事のレパードも同じ血族で売り出すタイミングで光を見ないというか?ただ車って愛着があると所有してるだけで嬉しいし、車庫に止めてあるのを眺めてにニヤニヤ?するのもいいし?グラントリノと言う映画の1シーンで主演俳優が車庫で酒を飲みながら自分の旧車のアメ車を眺めて、いい車だ!と言う、こんなオーナーなら世間で光を浴びなかった車も幸せでしょう。プリンス系がグロリアで日産系がセドリックとしてシーマを扱うような双子車販売も今はプリウスのように全体で扱う時代からすれば、これもバブルの象徴だったのですかね?