ホンダジェット、100年の道のりとは 宗一郎少年が見た夢からシェアトップ獲得まで
「ホンダジェット」が2017年上半期、VLJ市場シェアトップを獲得しました。本田宗一郎氏がホンダを創業して約70年、幼い日にアクロバット飛行を見てから100年目の出来事でした。これまでの苦難の道のりを振り返ります。
「ホンダジェット」ついにシェアトップ獲得
2017年8月16日、ホンダの航空機事業子会社であるホンダエアクラフトカンパニーは、2017年上半期(1月~6月)において同社の製造する「ホンダジェット(Honda Jet)」がVLJ(小型ビジネスジェット機)市場において24機の最多出荷数を達成したことを発表しました。
「ホンダジェット」は2015年末に引き渡しを開始、現在月産4機(年産48機)ペースで製造されていますが、ビジネスジェットやエアタクシー(チャーター機)として用いられるVLJとしては競合機に比べ客室が大きく、またトイレを持っていることや低燃費であること、そして所有欲を刺激する「格好よさ」が高く評価され引き渡し開始以来好調を維持、2019年には年産80機に拡張することが決定しています。
順風満帆に見える「ホンダジェット」ですがその実現は苦難の道のりであり、なんと100年もの歳月を必要としました。「ホンダジェット」を実現させたもの、それは「The Power of Dreams(夢の力)」でした。
100年前の1917(大正6)年4月、静岡県浜松市において開催されたアート・ロイ・スミス氏によるアクロバット飛行ショーは観客の度肝を抜く大盛況でした。まだ飛行機が珍しかった時代にあって、ロール(横転)やループ(宙返り)、急降下といったアクロバットは、見学者のひとりであった当時10歳の本田宗一郎少年に、航空への夢を抱かせるには十分すぎるものでした。
その後、本田宗一郎氏は1946(昭和21)年に本田技術研究所(現本田技研工業)を設立、二輪車、四輪車ではいまや世界で知らぬものがない「ホンダ」が誕生します。本田宗一郎氏は創業当初から航空機産業への参入を夢見ていましたが、その実現はさらに70年もの歳月を要します。
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