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5件のコメント

  1. 「8」の由来が末広がり云々というのは後になって言われたことでしょう。番号が親会社の車とダブらないように、京成のモハ750形と京成生まれで新京成に譲渡されたモハ1100形の間の空いていた番号を与えたという経緯があります。新京成初の自社発注はモハ800形・サハ850形ではなく、その前年の昭和45年に旧型車の部品を流用して東急車輌で造られたモハ250形・サハ550(当初クハ550)形なんですけどね。

  2. 払い下げを受けたとき、京成電鉄は都営浅草線との直通運転という大プロジェクトを抱えていた

    敗戦直後にそんなプロジェクトなどないですよ。

    なぜ別会社にしたかといえば、1953年まで生きていた地方鉄道補助法による国からの補助を受けるためです。したがってこの法が鉄道軌道整備法と代わって新京成が助成対象の鉄道から外れることになった時点で、軌間を1067mmから親会社の1372mmに変更しています。

    • ご指摘ありがとうございます。

      修正いたしました。

  3. タイトルの『陸軍演習線から新京成になるまで』

    それならば中間の経緯すっ飛ばしすぎてるような気が。

    それはそうと新京成の線路幅ですが、

    補助金とは別の説で、

    馬車軌(1372mm)で認可されなかったという話もありますね。

    地方鉄道法で認められずそうしたと。

    あと馬車軌の改軌は補助金切れというより京成乗り入れと公式にはなっていますね。

    その後は標準軌になるものの

    実は京成より早く、

    これは京成の改軌するにあたり実験したという説が有力ですね。

  4. それより京にも成にも行かないのに「新京成でいいや」となった理由が知りたい