新京成電鉄と京成電鉄の違いって? 陸軍演習線が「新京成線」になるまで

カーブの多さは生まれが由来

 このような経緯で生まれた会社であるため京成電鉄との結び付きはいまも強く、新京成電鉄の運転士は京成電鉄の施設を使って訓練を行っていますし、京成電鉄と新京成電鉄で同じスタイルの車両を導入するといったことも行われています。

 ところで、新京成電鉄の路線の元となった鉄道連隊演習線は、いろいろな状況を想定して演習場の中を右に左に曲げて敷設されました。その結果、津田沼~松戸間は直線距離で16kmほどにもかかわらず、実際の線路は40km近い長さに。この線路敷きをそのまま転用したら所要時間が無駄にかかってしまうため、払い下げられた後、まっすぐにできるところはできるだけ改良されました。しかし現在も、いたるところにカーブが残っています。

 とは言えスピードは決して遅くなく、右に左に車体を傾けながら軽快に走り抜けていきます。日中の京成津田沼~松戸間26.5kmの所要時間は44分。途中22駅に停車しているにもかかわらず停車時間を含めた平均速度は36.1km/hです。首都圏の普通電車としては速い部類に入ります。

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コメント

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5件のコメント

  1. 「8」の由来が末広がり云々というのは後になって言われたことでしょう。番号が親会社の車とダブらないように、京成のモハ750形と京成生まれで新京成に譲渡されたモハ1100形の間の空いていた番号を与えたという経緯があります。新京成初の自社発注はモハ800形・サハ850形ではなく、その前年の昭和45年に旧型車の部品を流用して東急車輌で造られたモハ250形・サハ550(当初クハ550)形なんですけどね。

  2. 払い下げを受けたとき、京成電鉄は都営浅草線との直通運転という大プロジェクトを抱えていた

    敗戦直後にそんなプロジェクトなどないですよ。
    なぜ別会社にしたかといえば、1953年まで生きていた地方鉄道補助法による国からの補助を受けるためです。したがってこの法が鉄道軌道整備法と代わって新京成が助成対象の鉄道から外れることになった時点で、軌間を1067mmから親会社の1372mmに変更しています。

    • ご指摘ありがとうございます。
      修正いたしました。

  3. タイトルの『陸軍演習線から新京成になるまで』
    それならば中間の経緯すっ飛ばしすぎてるような気が。

    それはそうと新京成の線路幅ですが、
    補助金とは別の説で、
    馬車軌(1372mm)で認可されなかったという話もありますね。
    地方鉄道法で認められずそうしたと。

    あと馬車軌の改軌は補助金切れというより京成乗り入れと公式にはなっていますね。
    その後は標準軌になるものの
    実は京成より早く、
    これは京成の改軌するにあたり実験したという説が有力ですね。

  4. それより京にも成にも行かないのに「新京成でいいや」となった理由が知りたい