「新幹線」大正時代からあった? 意味が変わった言葉の歴史

新幹線は「鉄道限定」の言葉ではなかった

 弾丸列車計画は戦時体制への突入による資材不足の影響で、1943年(昭和18)度に中止。戦後、弾丸列車計画で買収した建設用地を活用する形で建設されたのが、現在の東海道新幹線になります。いずれにしても、「新幹線」という言葉は東海道新幹線が計画された1950年代ではなく、1930年代の段階ですでに存在していたことになります。

 ところが、さらに昔の新聞記事を当たってみたところ、大正時代の1910年代にも「新幹線」という言葉が使われていました。

 たとえば、1914(大正3)年11月4日付の台湾日日新報は、中国大陸の鉄道新線計画を「新幹線」と表現しています。1919(大正8)年12月19日付の大阪毎日新聞も、大阪市と堺市を結ぶ新しい幹線道路を「阪堺新幹線」と記していました。

 つまり、新幹線は開業から半世紀以上の歴史があるものの、「新幹線」という言葉自体は少なくとも1世紀以上の歴史があるということになります。ただ、大正時代の新聞記事を読む限り、このころの「新幹線」は鉄道に限定された言葉ではなく、道路も含めた「新しい幹線交通」を意味する言葉だったようです。

 そう考えると、東京~下関間の高速鉄道計画が「新幹線」ではなく「弾丸列車」と呼ばれることが多かったのも納得できます。報道各社としては、道路も含まれる「新幹線」という言葉を高速鉄道計画の名称として使うことに違和感を覚え、当時の世相も重なって「弾丸列車」と言い換えていた面もあったのかもしれません。

【了】

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コメント

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1件のコメント

  1. 「バイパス」という単語が無い時代には別の単語が用いられただろう
    「○○幹線」という道路もあるし、そりゃそうだろうなという感じ
    もっと掘り下げてほしいね