【空鉄カメラマンのハンガートーク】初めての鉄道空撮は再開発前の品川
鉄道の空撮「空鉄」というジャンルを世に広めたカメラマンが、再開発が始まる前の品川の車両基地を撮影したときのエピソードを語ります。
それはフィルムからデジタルへの移行期だった
私、吉永陽一は鉄道空撮の作品を日々発表しています。撮り始めてからかれこれ10年ちょっと。「空」撮で捉えた「鉄」道ということで、「空鉄(そらてつ)」と銘打って作品を作り続けてきました。
2008(平成20)年。私は空撮の世界ではまだ駆け出しでした。世間ではデジカメが普及してきていたものの、空撮では従来からのフィルム撮影も多く、私もペンタックス6x7をメインに、押さえカット用のデジタルとして、2007(平成19)年デビューしたてのニコンD3を併用し始めていました。
私のクライアントはデジタル完全移行に躊躇(ちゅうちょ)していて、メインはフィルム、サブでデジタルという依頼をしていたのです。当時は「デジタルで大丈夫か」という疑心がまだ残っていたので、この形態は妥当だと感じていました。
物件撮影では飛行機を2回旋回しながら6x7で撮影するのが私のルーティンで、それに「プラス1」旋回して(そのぶん撮影時間と経費は加算される)D3で撮影したのですが、デジタルの成果はなかなか好評でした。私はこれを鉄道に応用できないものかと考え、色々と撮ってみました。ただ単に撮るのはつまらない。何か目的がなければと思いついたのが、品川駅(東京都港区)と同駅に隣接する車両基地でした。
ちょうどこのころ、「どうやら品川~田町間が再開発されるらしい」といううわさを耳にしていました。東京生まれ、東京育ちの私にとって、品川といえば鉄道発祥地であり、東海道筋の優等列車、特にブルートレインの休息地であって、花形列車牽引機を受け持つ東京機関区がある日本の鉄道の聖地のような位置付けでした。
それが無くなるかもしれない……そんな焦る気持ちを抑え、でも早く空撮したいと思い、チャンスを狙っていました。
最後の九州ブルトレとサンライズが並ぶ
品川駅周辺の空撮は、業務と業務の合間の僅かな時間になりました。しかも大気がうっすらと白い、良くないコンディション。本当はフルチャーターして、良い気象で空撮したかった。しかしできなかった。お金が無かったのです。僅か数分しかお金を払えなかったのです。駆け出しの私には、カメラボディが買えるほどのチャーター代は、とてもではないが払えませんでした。
残り415文字
この続きは有料会員登録をすると読むことができます。
Writer: 吉永陽一(写真作家)
1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。