【鉄道車両のDNA】跨座式モノレール「見本市」から規格統一への道のり

日本のモノレールはさまざまな規格が開発されましたが、のちに「日本跨座式」と呼ばれる規格への統一が図られます。初期の「見本市」状態から統一に至るまでの経緯を振り返ります。

全長100kmを超える日本のモノレール

 2017年末、東京モノレールが累計乗車人員30億人を達成しました。1964(昭和39)年に開業した東京モノレールは、日本のモノレールをけん引する存在として、長年空港輸送を担ってきました。現在、国内のモノレールは全国に10事業者あり、12路線・約112kmが運行されています。

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現在は100kmを超える路線があるモノレール。とくに跨座式が多い。写真は沖縄の那覇市内を走るゆいレール(2018年7月、鳴海 侑撮影)。

 日本でのモノレールの歴史は実質的には戦後から始まっていますが、1950~1960年代はさまざまな形式のモノレールが出ており、見本市のようでもありました。それが現在では跨座(こざ)式の「日本跨座式」と懸垂式の「サフェージュ式」に集約。とくに日本跨座式の採用例が多くなっています。どのような経緯で統一が図られていったのでしょうか。

国産の「東芝式」は普及せず

 日本で最初に鉄道扱いで開通したモノレールは1957(昭和32)年、上野動物園の西と東を結ぶルートで開業した、東京都交通局の上野懸垂線です。これは世界で唯一の片持ちタイプの懸垂式モノレールを採用。「上野式」とも呼ばれています。

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上野動物園内で運行されている懸垂式モノレール(上野式)。懸垂式はほかにフランス技術のサフェージュ式なども開発された(2018年5月、恵 知仁撮影)。

 上野式は東京都内を走る路面電車に代わる公共交通として研究、開発されたものでしたが、最終的には地下鉄の整備を進めることになったこと、さらにはあとで述べる「サフェージュ式」が登場したこともあり、ほかで採用されることはありませんでした。

 日本で発展したのは、懸垂式よりも跨座式のモノレールでした。まず1961(昭和36)年、奈良ドリームランドの遊具施設として日本初の跨座式モノレールが導入されます。これは東芝が開発したもので、その名の通り「東芝式」と呼ばれました。東芝式の特徴は、ゴムタイヤ式で連節車体となっていること、それにより車内をできるだけフラットな空間にしたことです。

 東芝式は続いて神奈川県の大船~ドリームランド間を結ぶ路線に導入され、1966(昭和41)年に開業します。こちらは遊具扱いではなく鉄道法規に基づくモノレールでしたが、ここで大きな問題が発生します。

 当初30tとして設計されていた車両の重量が約46tにもなり、規定よりも大幅に重くなったため、営業中に坂を上れなくなったり、橋桁に割れ目が生じたりしたのです。東京陸運局はこの事態を重く見て、これ以上の運行は危険と勧告。わずか1年ほどの運行で休止路線となってしまいました。

 その後はドリームランドと東芝の間で長期間にわたる裁判もあり、結局30年以上も休止線として雨ざらしになったまま廃止されてしまいました。これ以降、東芝式の開発は行われていません。

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Writer: 鳴海 侑(まち探訪家)

1990年、神奈川県生まれ。私鉄沿線で育ち、高校生の時に地方私鉄とまちとの関係性を研究したことをきっかけに全国のまちを訪ね歩いている。現在はまちコトメディア「matinote」をはじめ、複数のwebメディアでまちや交通に関する記事を執筆している。

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