日本最北「稚内~サハリン」定期航路、その実態 夏だけの日ロ共同運航は波乱含み

戦前の鉄道連絡船から半世紀を経て復活 その後も紆余曲折

 北海道からサハリンへの航路の歴史は1923(大正12)年、稚内~大泊(現在のコルサコフ)間の「稚泊連絡船」誕生まで遡ります。当時、北緯50度以南の南樺太は日本の領有下にあり、前年に開通した稚内までの鉄道から乗り換え、宗谷海峡を渡るための鉄道連絡船として開設されました。

 しかしその後、1945(昭和20)年のソ連侵攻により航路は事実上消滅します。ソ連崩壊後しばらく経ってからの1995(平成7)年にロシア船の「イーゴリ・ファルフトジノフ号」が就航するまで、稚内~コルサコフ間の定期航路は半世紀のあいだ存在しなかったのです。

 1997(平成9)年にはその定期航路が中止となり、1999(平成11)年からは日本船の「アインス宗谷」により航路が再開。約16年間続きましたが、これも貨物取扱量や利用客の低迷から2015(平成27)年に撤退してしまいました。

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稚内港の大型防波堤「北防波堤ドーム」。戦前に建設され、稚泊連絡船と列車の乗り換え通路としての役割も担った。現在の航路はこの付近ではなく、港の南側にターミナルがある(太田幸宏撮影)。

 そういった状況下で、日ロ両国が補助金を出すことで2016(平成28)年からの運航が決まったのが、現体制での航路です。それまでに比べて船も小さく、定員も少なくなりましたが、まずは航路を存続させることが重要という認識はサハリン側も稚内側も共通しています。2018年からは青少年割引制度を開始し、12歳以上25歳未満の人なら片道1万5000円の運賃が1万円になるなど、旅客数を増やすための方策も打っています。

 しかし、小型の船での宗谷海峡越えはなかなか難しいようです。2017(平成29)年は39往復78便の運航を予定していましたが、実際には悪天候などにより5往復10便が欠航し、就航率は約87%となりました。2018年も、8月8日から8月20日までのあいだですでに2往復4便が欠航になりました。

 日本最北の航路であるうえに、夏季限定で、天候により欠航の可能性もある稚内~コルサコフ航路。現在のところ、来季の運航もまだ決定していないなど、乗船のハードルも低くはありませんが、旅好きなら、乗船しておきたい航路のひとつかもしれません。

【了】

※記事制作協力:風来堂

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コメント

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1件のコメント

  1. >今季のみの特別措置として、それまでは折半していた経費をロシア側が全額負担するというのです。乗客の多くは休暇中のロシア人観光客ということもあり、航路の存続にはサハリン州の強い意向がありました。

    もっとニュースとして取り上げた方が良いと思います。