男の子はいかにして鉄道ファンになったのか 「鉄道BIG4」の2人に聞いた

奈良駅に特急が来た日

編集部「鉄道を好きになったきっかけをあえて挙げるとすれば、何でしょうか?」

岡安「父が鉄道模型のNケージをやってました。それを見て、自分もお年玉で車両を買って、父のジオラマで走らせていました。4両編成でないと走らせてはならないという厳しいルールがありました(笑) 最初に買ったのは、自宅の前を走っていた115系電車です。次が山手線の103系。そのあと新幹線を買おうとしたら『ジオラマに合わないからやめてくれ』と父に言われたのを覚えています。ジオラマが田舎タイプのやつだったんで……」

編集部「鉄道模型がお好きだったんですか?」

岡安「そうですね、父のNゲージを見てかっこいいなと。『プラレール』を卒業して小学2年生くらいからNゲージに手を出しました。『プラレール』は2DKの家じゅうにレールを敷いて、途中に『大宮駅』を作って分岐させて、黒磯行きと高崎・前橋行きに分けて弟と遊んでいました。弟は『プラレール』までは鉄道好きだったんですが、その後はファミコンのほうに関心がいっちゃいましたね」

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TSUTAYAプレミアム『南田の鉄道ファーン!』より(画像:TSUTAYA)。

編集部「南田さんは、どんなきっかけがあったのでしょうか?」

南田「きっかけかどうか分からないんですが、『鉄道が好きだ』という思いを改めて強固なものにした経験として、『鉄道が全国とつながっている』ということを身に染みて実感する出来事が2回あったんです。1回目は、関西本線の王寺の車両基地が台風で被災して水没した際、関東から101系電車が応援でやってきたときです。2回目は、東北新幹線が開業した頃に485系電車が大移動した時期がありましたよね。急行『きのくに』を特急『くろしお』に格上げするため485系が東北から送られてくるわけなんですが、一時期、その何編成かが奈良駅に留置されていたんです。奈良県は国鉄特急が走らないことで有名だったんですが、回送とはいえ特急が来たんですよ。はじめは信じてなかったけど、奈良駅で実際に見て『ほんとだぁ』と。大和小泉駅の線路は全国につながっているんだと実感したのが、鉄道の魅力に取りつかれたきっかけです。急行『きのくに』の最終日は、翌日からの特急『くろしお』運行に備えて送り込まれた485系を撮ったりしていました」

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コメント

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3件のコメント

  1. 南田の話はほとんど創作もしくは嘘。
    松井玲奈と同じ匂いがプンプンする。
    鉄道ヲタとしてわかるのはタモリさんに中川家の礼二さん、市川紗椰さん、廣田あいかちゃんなど。
    この二人ははっきり言って辛気臭い。

    • それって単にお前が気に入らないだけでは?
      私怨なら御遠慮願いたいね。

  2. タイトルを見て早とちり
    名古谷←(奈良経由)→和歌山のDC特急あすか(昭和40年(1965年)~昭和42年(1967年))を懐かしむ話題かと思ってしまった。