男の子はいかにして鉄道ファンになったのか 「鉄道BIG4」の2人に聞いた

父の屋根裏ジオラマに友人びっくり

編集部「子どものころ、『プラレール』や鉄道模型以外に、どんな形で鉄道とふれ合っていましたか?」

南田「『プラレール』はやってましたけど、早めに卒業して、バンダイの『ミニミニレール』を遊んでいました。そしてそれと同時に、祖母が亡くなったときに形見で譲ってもらったカメラで鉄道を撮るようになりました。父が新聞記者だったので、構図をアドバイスしてくれるんですよ。期限切れになって捨てられるモノクロフィルムを会社からもらって来てくれたので、それでモノクロ写真を撮っていました」

岡安「模型以外ですと、秋葉原にあった交通博物館は事あるごとに連れて行ってもらいましたね」

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TSUTAYAプレミアム『南田の鉄道ファーン!』より(画像:TSUTAYA)。

南田「あとは絵を描いたり、電車ごっこしたり。『電車ごっこ』というのは、教室のドアで『プシーーー』(編注:鉄道車両の乗降用扉が開閉するときのまね)とやったり、窓を開けて車掌の仕種をまねたり。あと、電車になったつもりで自転車に乗ったり。家では改札口の係員をやりたくて、『改札』を家の中に作って、母に『洗濯行くとき、きっぷを渡してね』と言ってるのに『改札』を1回しか通ってくれなくて。……なんか泣けてきた(笑)」

岡安「東京にいたときは鉄道好きが周りにいたんですが、小学校の途中で埼玉に転校したら全然いなくなっちゃったんです。父は屋根裏を全部ジオラマにするなど相変わらず突っ走っていて、仲良くなった友だちにそれを見せるとびっくりしてましたね。埼玉は家が駅から4kmほど離れていたので、電車を見に行く頻度も減り、疎遠気味になり、『隠れテツ』みたいになったこともありました」

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コメント

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3件のコメント

  1. 南田の話はほとんど創作もしくは嘘。
    松井玲奈と同じ匂いがプンプンする。
    鉄道ヲタとしてわかるのはタモリさんに中川家の礼二さん、市川紗椰さん、廣田あいかちゃんなど。
    この二人ははっきり言って辛気臭い。

    • それって単にお前が気に入らないだけでは?
      私怨なら御遠慮願いたいね。

  2. タイトルを見て早とちり
    名古谷←(奈良経由)→和歌山のDC特急あすか(昭和40年(1965年)~昭和42年(1967年))を懐かしむ話題かと思ってしまった。