NATO紆余曲折の70年 ソ連崩壊で大幅路線変更、その後のロシア関係は? 日本とは?

70年間の紆余曲折、いまではテロや海賊にも対応

 設立から70周年を迎えたNATOは、その間にさまざまな紆余曲折を経てきました。なかでも、それまでNATO最大の脅威であったソ連が崩壊した1991(平成3)年以降は、NATOにとって変革の日々だったといえます。

 先述したように、NATOはもともと、ソ連の影響力拡大や軍事侵攻に対抗することをひとつの大きな目的として結成された組織です。そのため、ソ連が崩壊したあとのNATOは何を目指すべきか、という課題が生じました。そこで、NATOは残る結成目的の実施、すなわちヨーロッパにおける軍国主義の台頭を防止すること、そして同地域内の政治的統合や民主化の推進、および安定化を目指すことにしたのです。

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ソ連崩壊後、東ヨーロッパへと拡大したNATO加盟国は2019年現在、29か国に上る。写真はその外相級会談の様子(画像:NATO)。

 こうした目的の下に、NATOはその影響力をヨーロッパの東へと拡大させ、ポーランドやルーマニアなど、かつてはソ連の勢力圏内にあった国々も加盟国の仲間入りを果たしていきました。また、1995(平成7)年にはユーゴスラビアで、そして1998(平成10)年にはコソボでそれぞれ発生した、民族や宗教の違いによる対立に端を発する紛争にもNATOは介入するなど、ヨーロッパの安定を維持するための重要な存在として、冷戦時代とは異なる新たな道を歩み始めたのです。

 さらにNATOは、従来のように国家間紛争や内戦ばかりではなく、現代ならではのグローバルな脅威にも対応する組織となっていきました。2001(平成13)年9月11日、いわゆる「アメリカ同時多発テロ」が発生した際には、NATOはこのテロ攻撃を加盟国全体に対する攻撃とみなし、史上初めて集団的自衛権を行使することを決定しました。そして、アメリカを中心とするNATO各国軍は、テロリストの拠点と見たアフガニスタンを攻撃したのです。

 また2008(平成20)年からは、アフリカ大陸とアラビア半島に挟まれた紅海の入り口にあたるアデン湾やソマリア沖において、頻発する海賊行為に対処するため、各国と連携した海賊対処の取り組みを開始しました。現在では、各国への海賊に関する情報提供や、アフリカ諸国などに対して海賊に対抗するための能力構築支援などを実施しています。

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