軽巡洋艦「神通」の一部始終 旧海軍切り込み担当の誉れ 語り継がれるその壮絶な最期
運命の「コロンバンガラ島沖海戦」
それから半年後、南太平洋のラバウル基地に進出した「神通」は、ガダルカナル島撤退後、ソロモン諸島方面の最前線となっていたコロンバンガラ島への増援輸送任務のため、第二水雷戦隊旗艦として駆逐艦9隻(警戒任務艦5隻、輸送任務艦4隻)を率い、7月12日未明、同基地を出発しました。
この日本艦隊の動きは、各島のジャングルに潜む連合軍側の沿岸監視員によって逐次チェックされており、アメリカ海軍は手ぐすねを引いてコロンバンガラ島沖合で待ち伏せしたのです。
一方で22時半頃には、日本側も装備したばかりの逆探装置によってアメリカ側のレーダー波を探知しており、待ち伏せ攻撃がありそうだと悟っていました。そのため23時には、輸送任務艦4隻に別行動をとらせます。
その直後の23時3分、日米双方は距離約24kmでほぼ同時に艦影を確認し、戦闘を開始しました。23時8分、「神通」は味方の砲雷撃を支援するためアメリカ艦隊に対して探照灯(サーチライト)を照射します。アメリカ艦隊から見れば、もちろんこれ以上なく目立つ標的であり、その攻撃は「神通」に集中、同艦はたちまち大破炎上しました。敵の砲撃で艦橋がやられたことで、第二水雷戦隊司令部と艦長以下「神通」の中枢が壊滅し、「総員退艦」の命令を出す幹部がいなくなったこともあり、「神通」は炎上爆発し艦が二分されても、沈む最期の瞬間まで砲撃を続けたといいます。
「神通」が一身に敵弾を集めたことで、日本側の駆逐艦はアメリカ艦隊への攻撃に集中でき、その結果、日本側は「神通」1隻の沈没に対して、アメリカ側は駆逐艦1隻沈没、軽巡3隻大破、駆逐艦2隻大破の損害で、さらに日本側は増援輸送も成功と、作戦と海戦の双方で任務を全うしました。
しかし「神通」は最期まで孤軍奮闘したため、最終的に乗員482名(第二水雷戦隊司令部含む)のうち、生存者は30名弱しかおらず、そのほとんどが艦と運命を共にしたのです。
ここまでの勇戦敢闘ぶりに、アメリカの戦史研究家であるサミュエル・モリソン海軍少将は、「『神通』こそ太平洋戦争中、もっとも激しく戦った日本軍艦である」と称賛したそうです。
【了】
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