軽巡洋艦「神通」の一部始終 旧海軍切り込み担当の誉れ 語り継がれるその壮絶な最期

海底に眠る姿が明らかとなった旧日本海軍の軽巡洋艦「神通」。敵艦隊への切り込みを担当する最精鋭を集めた「第二水雷戦隊」で旗艦を長く務め、太平洋戦争では実に多くの作戦に従事した、「最強」のカタチのひとつを体現した艦です。

海底に眠る「神通」発見される

 2019年4月26日(金)、戦艦「武蔵」や「比叡」など数々の旧日本海軍艦艇を発見してきた故ポール・アレン氏(2018年10月逝去)の沈没船捜索チームが、今度は軽巡洋艦「神通(じんつう)」を発見、Facebookで公開しました。沈没地点は、南太平洋ソロモン諸島中部にあるコロンバンガラ島の北東沖で、水深は900mとのことです。

 実はこの「神通」、常に第一線で戦い続けていたため、太平洋戦争開戦後の写真がほとんどなく、今回の発見によってようやく戦争中の外観の詳細が判明したのです。

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「美保関事件」後、1930年ごろに撮影された「神通」。艦首が損傷修理によってダブルカーブ型に改められている(画像:アメリカ海軍)。

 そもそも「神通」は、通称「5500トン型軽巡」(トン数は常備排水量)と呼ばれる川内(せんだい)型軽巡洋艦の3番艦として1920(大正9)年に建造が計画され、神戸において1923(大正12)年12月8日に進水し、1925(大正14)年7月31日に竣工しました。この間、「神通」に先行して横浜で起工していた同型の軽巡「那珂(なか)」が、1923年9月1日の関東大震災にて被災、いったん解体したうえで再起工となります。これにより「那珂」の工期が大幅に遅れたことから、「神通」が先に進水することになり、その結果、川内型軽巡の2番艦へ繰り上がったのです。

 こうして「神通」は竣工とともに呉鎮守府籍に入り、日本海軍のいち戦力となったのですが、それから2年後の1927(昭和2)年8月24日に起きた、いわゆる「美保関事件」で一躍、その名が世間に知られることとなりました。

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