山下駅を出ると山下駅に停まります!? 能勢電鉄名物、日生線のスイッチバック運行
梅田直通の特急誕生が契機に
日生線は山下駅の北西に造成された「日生ニュータウン」へのアクセスを担う支線として1978(昭和53)年に開業。かつては、山下駅折り返し列車の運行形態も現在と異なっていました。日生中央駅から山下駅の2号線に到着した折り返し列車は、妙見口行き列車と接続したのち出発。駅の日生中央側にあった渡り線から下り線に入り、そのまま日生中央駅へと向かっていたのです。
やがて日生ニュータウンは、造成の進行にともない1万5000人以上が住む地域有数の大住宅街となります。大阪への通勤客が激増したため、能勢電鉄は1997(平成9)年、日生中央~梅田間で阪急宝塚線直通の特急「日生エクスプレス」の運行を開始しますが、これに際し、4両編成までしか停車できなかった山下駅のホームを、8両編成に対応させる延長工事が行われました。
ホームは駅の北側へ延長されることになり、既存の渡り線が撤去され、代替として駅南側に渡り線が新設されます。これにより、日生中央からの山下駅折り返し列車は、いったん上り方面(川西能勢口方面)へ進んでから方向を転換し、1号線へ入線するという現在と同じ折り返し方法になりました。ただ当初は2号線到着後、客を乗せずに方向転換を行っており、妙見口行きの列車から日生中央行きへ乗り換える人々は、3号線から地下通路を通って1号線へ移動していました。
しかし、扇状に広がる山下駅の地下通路は長く、日生線の乗客が急増していたこともあり、大変な混雑ぶりだったといいます。開業時と比べれば日生中央行きの本数も増えていましたが、それでも乗り換え客をさばききれず、対策として編み出されたのが、「客を乗せたまま方向転換」することでした。これにより、妙見線と同一ホームでの乗り換えを再び可能にし、さらに1号線でも客を乗せるようにしたのです。能勢電鉄によると、「日生エクスプレス」の運転開始からおよそ1年後の1998(平成10)年に始まったといいます。
このように方向転換する運行形態は一般的に「スイッチバック」と呼ばれますが、山下駅のそれは、ちょっとした名物にもなっています。運転士の「エンド交換」(運転台の操作を終了し、反対側の運転台に移り、折り返し運転を始める一連の動作)を間近で見られるとあって、鉄道ファンはもちろん、週末などには子どもたちが運転士の所作を熱い目線で見守る一幕が見られます。
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Writer: 宮武和多哉(旅行・乗り物ライター)
香川県出身。鉄道・バス・駅弁など観察対象は多岐にわたり、レンタサイクルなどの二次交通や徒歩で街をまわって交通事情を探る。路線バスで日本縦断経験あり、通算1600系統に乗車、駅弁は2000食強を実食。ご当地料理を家庭に取り入れる「再現料理人」としてテレビ番組で国民的アイドルに料理を提供したことも。著書「全国“オンリーワン”路線バスの旅」など。
昔,東北地域の急行では,分割・併合の際にこのような転線はよくみられたような。